中身が空っぽである《空虚》。反対語は中身が満ちている《充実》。
短歌をひとつ。
『むなしさを 埋めるための 酒なれど 酔いて空しい 醒めて虚しい』
(むなしさを うずめるための さけなれど よいてむなしい さめてむなしい)
むなしいには、二種類の漢字があって、空と虚。
空しい、虚しい
これらは、うつろ、とも読む。空ろ、虚ろ。
空虚な心に、どんなに酒を毎日沢山注いでも、その干上がってしまった池は、決して満たされることが無いのだ。飲んでいる最中も、醒めてからも、そのうつろな顔つきはどうしたことか。
短歌。二つ目。
『アルコール 飲めど酔えども 空虚なり 何をか求めん 空し酒なり』
(あるこーる のめどよえども くうきょなり なにをかもとめん むなしさけなり)
私にとっては、飲み物としての酒と、行為としての飲酒は、空虚である。一体何を求めてこれまであんなに飲んで来たのだろうか。何か素晴らしいものを得たのだろうか。どんなに記憶を掘り返しても、何もない。
ところが、これ(飲酒)をしない、やめた生活は、《空虚》の反対語の《充実》にとって代わる。満ちている。
短歌。三つ目。
『酒断ちて 生活満ちて 充実し 飲酒の空虚 既に埋めん』
(さけたちて せいかつみちて じゅうじつし いんしゅのくうきょ すでにうずめん)
断ったその日からすぐに充実するわけではなく、徐々に徐々に、亀の歩みの如くではあるが、1年を過ぎた頃、《充実》を実感できるだろう。
事実は全く真逆の結果であって、どんなに液体の酒を注いでも、それらは砂漠に撒く水のように、どこかへ消えてしまい、決して満ちることはない。だが、その酒と言う液体を注ぐことをやめると、徐々に満ちて来て、充実するのだ。
外側から何かを入れても根本的には何も変わらない。そこに気付くと、自分の中の、つまり内側の最深部から、じわじわと充実感が溢れて来るのだ。疑う方は、先ずは1年の苦いながらも楽しい断酒生活を体験してみてネ!
〆の短歌。
『真実に 気付いてみれば 単純で 酒飲む空虚 酒断つ充実』
(しんじつに きづいてみれば たんじゅんで さけのむくうきょ さけたつじゅうじつ)
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