めでたい席に必ずある飲み物、ではあるが、その晴れがましさとは裏腹に、飲めば飲むほど不幸を呼び入れる、酒。
これまで、このブログを書き続けて、3年3か月目を迎えているが、この間、《酒を毎日大量に飲んで幸福になった人》からコメントをもらったことは、一度もない。
恐らく酔っぱらった状態でネットサーフしている人からの、酒を批判する記事への怒りのコメントは何度か頂いた。但し、それらは論拠不明な、文章も怪しい、句読点もデタラメな、如何にもアルコールでラリッているような内容のものばかりだった。
ここまではっきりとその正体がわかっている飲み物なのに、何故に気づいてやめる人がこんなにも少ないのだろうか。かく言う私も、全く気付かずに30年以上飲み続けていたのだが。
この魔の飲料を作っているメーカーも、「楽しく適量で」とか「飲み過ぎに注意しましょう」などと、商品を勧めるポスターの隅にとても小さな字で警告を書いているが、果たして誰がこれを目に留めるのか。
もちろん、いつも「楽しく適量で」飲んでいる人も沢山いることだろう。
だが、その裏で、この麻薬性を秘めた飲み物の虜となって、日々飲まずにはいられない身体になってしまった人も、少なからず存在する。そう言った人々には、不幸を呼ぶ飲み物でしかない。
飲んでいる本人だけでなく、一緒に暮らす家族も不幸になり、酒は更に不幸の輪を広げる魔力を持っている。
酒を断ちたい、酒を断たなければ、と、少しでも思ったことがあるなら、何も躊躇うことも無い、直ちに断つべし。
先ず、断てば、そこで不幸の元も断たれる。
酒を断ったからと言って、翌日からすぐに幸福が訪れるわけではない。寧ろしばらくは、飲みたいのに飲めない酒にイライラが募り、寧ろ飲んでいた頃よりも言い知れない孤独と不安と不幸を感じるかもしれない。
そこで、踏ん張るか、また飲んでしまうか。
分かれ道。踏ん張れば、少しずつ生活が変わって来る。また飲んでしまえば、慣れ親しんだ悪夢の再現となる。
何れにしろ、酒そのものの正体は、未来永劫に不変である。それを受け止める自分を変えるしかないのだし、自分が変わることによって、不幸を呼ぶ飲み物と縁を切ることが可能となる。
わざわざ金を払って不幸を買うのはやめにしよう。
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