昨日、ドライバーさんがメールで教えて下さった、痛ましい事故。
朝から飲酒運転って、一体どういうことなんだろうか。容疑者の男は62歳だ。酒を飲んで運転したことを認めている。一方、被害者は、ボランティアで小学生の登校をずっと見守って来た方である。しかも、30年ほど前に、当時小学生の娘さんを交通事故で亡くされている。
毎日のように、飲酒運転は繰り返されている。事故を起こして表沙汰になったものは、ほんの氷山の一角であって、実際にはもっと沢山の人が酒を飲んで車を運転していることだろう。
このような痛ましい事故が起こっても、酒飲みたちは自分とは無関係だと思っていることだろう。「朝から酒飲んで運転してるんじゃねーよ!」程度の、他人事だろう。
本当は、そうではないのだ。誰が飲んでも、ある一定量を越えると、頭がやられてしまい、車だって運転する。自分だけは大丈夫!と、アルコールが回った頭は、素面の時では考えられないほどの自信過剰振りを発揮するのだ。
もうひとつ、こんなニュースを見つけた。
薬物には詳しい医師が、アルコールを飲んで、飲酒運転し、ひき逃げだって...
この医師は53歳。冒頭の、登校中の小学生の列に突っ込んだ容疑者は、62歳。
この二人は、もっと若いころから飲酒運転を常習的にしていたのかもしれない、たまたまこれまで発覚しなかっただけなのかもしれない、と私は思っている。
このように、酔っ払いは、殺人を犯すのだ。私たちが断った酒と言う飲み物は、悪魔の飲料であって、いとも簡単に、善人を殺人者にしてしまう恐ろしいチカラを持っている。
誰でも、その可能性はある。何故ならば、酔いが深まるほどに己を把握することが難しくなり、いつの間にか全くの別人格が登場し、我が物顔に振る舞いだすからである。その行動の一部始終は、海馬の仕事放棄によって、一切記憶されていない。
前夜、深酒をして記憶を失くし、今朝、ハタと気付いてみたら、殺人の容疑者になっているかもしれないのだ。酒に酔うことは、その段階が上がるごとに、危険度も増して行き、自己責任の範囲を軽く越えてしまう。
☆誰かを傷つけてしまう前に、断酒しよう。
☆50歳で断酒しよう。もちろん断酒は若ければ若いほど良い!
☆酒に酔うことは、綱渡りと同じであり、いつ奈落の底へ落ちてしまうか分からない。
失われた命、信用、時間、その他一切のもの・コトは、決して取り戻すことは出来ない・・・
ドライバーさんへ
関西読売新聞の 「伴走記 アルコール依存症の現場から」は、明日のブログで取り上げます。
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