酒を売る側は、売れれば売れるほど、儲かる。今すぐに、売りたい。
酒を飲む側は、飲めば飲むほど、気持ちが良くなる。今すぐに、飲みたい。
酒と言う商品は、これほどに両者の思惑が一致する。
どちらも、売った後のこと、飲んだ後のこと、つまり飲酒の悪影響なんて、全く考えてない。
同じことを何度も書いてしつこいけれど、何度でも書く。酒を売る側は、売り上げさえ上がれば良く、飲む側は、酒で酔えさえすれば良いのだ。
アルコールの怖さは、人体への毒性では、それを短時間で大量摂取した場合の死に至る急性の毒性と、もう一つ、適正量以上を長期間飲み続けることにより蓄積される慢性の毒性と、2パターンある。もうひとつ、酔うことの危険性では、飲酒運転、痴漢、喧嘩、路上寝こみ、その他、大脳が麻痺することにより起こる傷害事件の原因となる。
今、酒を飲みたいから飲む。飲むにはどこかで買ってくるか、酒を出している店に行かねばならない。こうしたわけで、酒を売っている店、出している店にとっては、アル中は上客である。酒を飲みたくてたまらないアル中にとっては、酒を売っている店、出している店は、オアシスだろう。
一度ハマると、その魔の悪循環から脱出できる人は、限りなくゼロに等しい。完全にゼロではないのは、私もそうだし、集って下さる多くの断酒仲間の方も、そこからの脱出に成功したからである。
アルコール依存症者は、アリジゴクに落ちる蟻のような存在だ。いつの間にか転げ落ち、もがけばもがくほど、落ちていき、中に潜むアリジゴクならぬアル(コール)ジゴクに喰われてしまうのだ。
こと、酒に関しては、本来の意味ではない、「刹那主義」(一時的な快楽を求める)に陥る人の、なんと多いことか。かく言う私も、かつてはその一人だったのだ。なので、酒を売る側にとっての上客であった頃、せっせと酒を買いに通っていた。
本来の意味の「刹那主義」は、過去や未来にとらわれず、たった今、正にこの瞬間を、充実させて真剣に生きることである。
たった今、この瞬間を真剣に生きるとするならば、酒など飲んで酔っ払うわけには行かぬ。いつも素面で、この瞬間を真剣に楽しむ。これが、本当の「刹那主義」である。
酒なし生活が板に付いた今、素面で世の中を眺めると、酒を売る側飲む側の丁々発止のやり取りが、あほらしく見えて、中々におもしろい。俯瞰と言うか鳥瞰と言うか、酒地獄から舞い上がり、上空から見ている感じだ。
酒のCMやらポスターやらを見ると、「おぉ~、売ってる売ってる!」。飲み屋でしこたま飲んでる人を見ると、「おぉ~、飲んでる飲んでる!」。スーパーなどで買い物かごにたんまり酒を詰め込んでる人を見ると「おぉ~、買ってる買ってる!」。今の私は、こんな感じの傍観者だ。
だが、この飛行は、一瞬にして落下する危険性(スリップ)を常に秘めている。これだけは分かっているので、私はいつも己を戒めている。抜け出たようで、実はすぐに舞い戻る危険性があるのが、飲まないアル中なのだ。
追記:
しゅうさんから、「飲まなくなった飲み屋のマスターは、いつも葛藤しています」とのコメントを頂いた。生業が酒を扱う場合の、断酒した人の葛藤は良く分かる。この点、同じく酒を扱うお店を経営されている女将さんは、どう割り切っていらっしゃるのか、お聞きしたいなあ。
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