一昨日(2017/7/7)から本日(2017/7/9)までの記事を連続で読んでもらうと、飲んだくれのどうしようもないアル中が、断酒によって蘇生し、今日書くような格好いい断酒erへと変貌を遂げることをお分かり頂けるだろう。
「人を殺す酒で臨死状態」(一昨日)→「蘇生するには断酒あるのみ」(昨日)→「カッコイイ断酒er」(本日)
酒を断った人には、こんな風に、確実な変化が訪れる。
人(自分、家族、他人)を死につなげる酒を断ち、蘇生した人は、日々淡々と、当たり前に酒なしの生活を送る。これが、スマートで格好いい。もちろん、断ってから暫くは悶々とする日々が続き、いつになったら落ち着くのか、と焦ることもあるだろう。
でも、大丈夫。きっと、酒なんぞ全く忘れて過ごす日が来る。本当に、一日一日断酒を積み重ねることによって、薄皮を剥がすように楽になって行く。
やめた当初から、強がりでいいから、格好いい断酒erを演じてしまうのも手だと、私は思う。例え、飲みたい気持ちが残っていても、酒なんぞ、自分にはもう不要だ、縁を切ったと言う態度で接してみたら良い。その内にそれが本当になる。
面白いことに、飲んだくれ時代は、酒を沢山飲める人が格好いいと思っていたのに、断酒してからは、酒なんて沢山飲んで(少量でも)何の意味があるのだろうと考えるようになった。
現実を直視すれば、飲酒とは、毒(アルコール)を沢山飲んで、身体(特に肝臓)に解毒の負担を掛け、脳にはアルコールによって様々な障害を与え、気分的には薬物効果によってラリっているだけである。無意味どころか、有害であることは間違いない。
酒をやめたことを後ろ向きに考えて、卑屈になってしまう人もいる。世の中の酒を飲んで当たり前の風潮に流されているからだ。そんなアホらしい考えには抗うほうが良い。だって、酒の中身は、毒(アルコール)なのだから。
飲酒なんぞバカバカしい。このことを納得すれば、寧ろ断酒して飲まない自分の立ち位置が誇らしいものに感じられるはずだ。
断酒erはカッコイイ。に関連して、今日は断酒仲間のトビーさんと、とってもオシャレなところで、酒なんか比べ物にならない飲み物で乾杯しつつ、色んなお話をして来た。
東京ミッドタウン
45階リッツカールトン・ロビーラウンジ
ペリエを飲みながら、約1時間半色んなお話を・・・
どんな酒よりも、清涼飲料水よりも、今日飲んだペリエは美味かった!
もちろん、それなりの値段はするけれど、飲んだくれ時代に浪費したアルコール代と時間に比べたら、ここでの時間は、1時間半が3時間にも4時間にも匹敵した。
何を話したのか気になる・・・かな?
格好いい断酒erを、もっと沢山、日本全国、世界中に増やそうと言う壮大な計画!?
ところで、また話が変わるのだが、こちらに貼ったTwitterの動画。木に登って降りられなくなった子猫を、母猫が助けに行くのだが、うまく行かず、結局は子猫が自力で降りて来るのを、下から母猫が見守る。
🎈😽🎈😻🎈😸🎈😽🎈😻🎈
— The Cult Cat (@Elverojaguar) 2017年7月7日
"Rescuing my baby ... ? - No ... I know she does it on her own ... "
🐾🐾🐾🐾 pic.twitter.com/VAStqQQsEK
これ、断酒にも当てはまり、アルコールの大木の高いところに登って降りられなくなってしまっているアル中が、どうやったら降りて来られるか。他の人が引きずり降ろしてもダメで、この子猫のように、アル中本人が自らの力で降りて来なければならない。
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