不飲酒仙人のかみさんが、発熱してダウンした。
朝から不調を訴えていたのだが、それでも仕事に出かけた。
しかし、昼過ぎに早退して来た。
私が帰宅すると、横になっていた。
日中会社で測った時は、37.9℃だったそうだが、その後ぐんぐん上がり、夕食前に測ったら、39℃あった。
この時期の高熱は、インフルエンザかもしれない。
かつて、飲んだくれ時代、泥酔しては、酷い二日酔いで苦しんでいる時や、家の中を汚してしまった時など、かみさんは私を看てくれたし、掃除もしてくれた。
酒を全く飲まず、酔うことの感覚さえ分からぬ人が、飲んだくれて正体不明に酔っぱらっている人の世話をする。これは、明らかにおかしな話だ。いくら夫婦とは言え、理不尽すぎる。
情けないことに、こんなことすら、断酒するまでは、私は分からなかったのだ。
アル中は、病気とは言え、傍から見れば、なんとまあ自己中心的な病気なのだろう。
自分が酒に溺れている時、家族が病気になったら、どうするのだろう。家族が元気な時は、自分の面倒を看てくれた。自分はいつだって飲んだくれていた。例えば子供が熱を出しても酒を飲んでいて、それを看ていたのはかみさんだった。
酒飲んでたら、自分以外の人が病気で臥せっている時に、看病できるだろうか。看病だけではなくて、掃除をしたり、洗濯したり、食事を作ったりも、しなければならないが、酒を飲んで酔っ払いながら出来るだろうか。
かみさんが熱を出して、ふと、こんなようなことを思い、過去を反省することしきりだった。
飲み出したら止まらないし、毎日飲まずにはいられない、アル中。自分ひとり、酔いの中で生きていられるのも時間の問題だ。
覚醒し、断酒しよう。
断酒すれば、何があろうと、いつだって、何だって素面で対応できるのだ。それを今日、実感した。
奥さん、旦那さん、お子さん、両親、兄弟姉妹、祖父母、その他同居している家族、パートナー、または関係者が、突然の病気や体調不良になった時、あなたが酒を飲んで酔っ払っていたら、看てあげることが出来ないのだ。
『飲んでたら 大事な人を 見られない』
『酔うな君 いざと言う時 役立たず』
『素面なら 看てあげられる 愛し人』
誰だって、苦しいときに優しくしてもらえば、心の底から嬉しいもので、一生忘れないくらいに、その人に感謝する。
私は、いつも《ド素面》で支えてくれた、かみさんに感謝している。
ところで、本題から外れるが、PC版のサイドバーに付けている断酒日数のカウンターが本日、
1777日
を示していた。
1と7が3つか・・・なんだか楽しい数字だ(笑)
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