今日5月22日が、国際生物多様性の日だと知った。
生物多様性とは、生き物たちの豊かな個性とつながりのことだそうだ。
人間にも多様性があって、中でも、飲酒に関して考えてみると、酒を飲む人と、飲まない人、やめた人、大分類で、この三つのタイプが存在する。
生物多様性のように、これらの飲む人、飲まない人、やめた人が、豊かな個性でもってつながりを持っているだろうか。
こと酒に関しては、飲む人と飲まない人・やめた人の間は断絶しており、つながりなどない。
だが、つながりを求めて、飲む人から、飲まない人・やめた人への一方的な飲酒の勧誘は、かなりしつこく、かつ頻繁にあるのは、事実。
飲む人からすると、飲酒行為に関しての多様性は認めたくはなくて、誰でも一律に自分と同じように飲酒してほしいのが本音のようだ。
最初から飲まない人は、酒などに興味はなく、そんなものを飲みたいとも思わないのだし、酒を断った人即ち断酒者からしてみれば、酒は毒なのである。
酒を飲む行為、飲まない行為は、個人個人が自分の考えで選ぶべきであって、誰かが誰かに勧めたり、強要したりするのは、全く持ってナンセンスなのだ。
この辺り、分かっていない飲んだくれの御仁が、未だに化石のように存在している。
どこかの市長のように、自分が口を付けたコップを相手に差し出して、酒を無理やり飲ませる献杯・返杯が、文化だとか言ってる時代錯誤の爺さんもいる。
酒を飲む人も、飲まない人も、お互いに多様性を認めて、豊かな個性でつながりたいものだ。
けれども、どうしても、酒を飲まない人、飲めない人の立場のほうが、何故か弱いのが、わが国日本である。
あの、アルコール入り飲料を、飲む人、飲める人のほうが、飲まない人、飲めない人を、上から目線で見下しているのは、一体どういうことなのだろうか。
私は、酒を断ってからの期間が長くなるに連れ、酒席に呼ばれる機会がどんどん減って、昨年からは唯一の酒の席だった、ボクシングジムの忘年会も出なくなった。
なので、酒を飲む人との接触はほぼなくなり、近くにリアルに酒飲みがいるのは、唯一たまに、関西弁のCさんと食事をする時くらいになっている。
仕事柄、酒の席が多く、どうしても酒飲みとの接触が多い方もいらっしゃることだろう。
やめて間もない方は、そのような席では、かなり大変な思いをされるかもしれない。どうか、自分の断酒の原点を思い出して、乗り切ってほしい。
たまに、そのような席を、見事にノンアルコールで乗り切りました!との感動のメールを頂くことがある。読んでいる内に、私も嬉しくなって、力をもらっている。
酒飲みから、断酒erへと、生物多様性の中で、見事に生態を変化させることに成功したのだ。
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