石の上にも三年と言う。
これの「三年」の意味は、期間としての3年間ではなくて、長い期間を表している。だが、今日は、話の都合上、ある程度の長い期間として、3年間を使ってみる。
一日断酒を続けて、3年間酒をやめているAさん、Bさん、Cさんがいるとする。
Aさんは、我慢して3年やめてる。
Bさんは、根性で3年飲んでない。
Cさんは、理論武装で3年断酒している。
人間は弱いものだ。ある日、地球上のどこかで、この3人が、たまたま同時にスリップしてしまったとする。
3人とも断酒していた頃の快適な生活が分かっているから、スリップして酷く酒を飲んでしまっても、また断酒に戻って来る確率がかなり高い。
戻って来たらまた酒を断つわけだが、その断ち方は、スリップ前に3年間断っていた頃のを踏襲するだろう、きっと。
即ち、Aさんは酒を我慢し、Bさんは根性で飲まず、Cさんは理論武装を更に深めることだろう。
酒を断つことさえ出来れば、どんなやり方でも考え方でも良いのだが、この3人の内、一番無難なのは、Cさんだと、私は考える。
ところで、断酒の継続には、自助の会が有効だと言われている。
自助の会に通っていたことのある人、通っている人と話す機会があるが、会員のごく一部ではあるけれど、断酒期間の長さを鼻に掛けたり、ちょっと自分はエライんだぞと言うような態度をする人がいるらしい。
このような人は、私からすると笑止千万である。何故なら、酒を断っていようと飲んでいようと、アル中であることの本質に変わりはなく、一滴でも酒が身体に入れば、すぐにアル中に戻ってしまう人間に過ぎないからである。
私の考えは、今日酒をやめた人も、3か月の人も、1年の人も、3年の人も、10年の人も、皆同じ、断酒の平面上に立っている。《どんぐりの背比べ》ならぬ《アル中の背比べ》に過ぎないってことだ。
けれども、ここで、同じ《アル中の背比べ》なら、Aさん、Bさん、Cさんも背比べをするわけだが、是非とも、何故自分が酒を断つのかを理論的に説明出来るかどうかの背比べをしてほしいものだ。
恐らく、Aさん、Bさんは、我慢と根性で酒を断っているので、しどろもどろかもしれない。Cさんから、断酒の理論武装を学ぶのがよろしい。
Aさん、Bさんの、体験的に培ってきた我慢と根性の断酒に、理論武装の断酒が加われば、鬼に金棒ではないだろうか。
我慢が悪いとは言わない、根性が悪いとは言わない。そこに、理論武装を足してやれば、最高&最強の断酒が出来ることを、今日はお伝えしたかった。
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