先ずは一句。
『花冷えの 手にほっこりと 缶珈琲』
今日、外を歩いていて、少し寒かったので、自動販売機で、温かいコーヒーの缶を買った。
この行為の費用対効果は、入れたコインと同等か、少しは効果が上回っているはずだ。
寒い身体に、温かいコーヒーはとても心地良く、何か温かいものを飲みたいな、の願望が叶ったわけだから。
一方、飲酒に関して、費用対効果を考えてみると、実にバカバカしいことが分かる。
飲酒には、自宅で飲む、店で飲む、移動中に飲む、など色んな飲み方があるけれど、費用は酒代で、その効果は、アルコールで酔うこと・・・だけではない。
飲酒に関しては、その費用に対して、効果は多くの場合、マイナスではないだろうか。毎度ほろ酔い程度で切り上げることが出来るなら、費用に対してトントンか、少しだけプラスになるのかもしれないが。
今日は、こんな記事を見つけて、何のための飲酒だろうと、改めて考えた。
上の記事の中で、
『「急性アルコール中毒」は、自分自身が気をつけていれば防ぐことができる症状です。』
と書いているけれど、これは、正しくない。
飲んでいる内に歯止めが効かなくなる人がいるので、そういう人は、自分自信が気をつけようがないのだ。
飲酒とは、酒に含有されたアルコールを摂取し、己の脳に麻酔をかけて、現実世界からいっ時逃避する行為である。体内に取り込むアルコールの量によって、ほろ酔いから泥酔、更には昏睡に至る。
こう定義してみると、飲酒に関しては、その費用に対して、効果は恐ろしいほどに、自分や家族を傷害するものであることが分かる。そうだ、酒にどんなに費用をかけても、効果はメーカーや国にプラスになるだけで、飲んだ本人には、良いことは一つもないのだ。
切符を買って電車に乗ることを考えると、払った費用分、快適に移動できること、それが効果である。
酒は、飲んだ分酔う。酔えば、カネも時間も、その他信用やらなにやら、色んなものを失うことになる。
わざわざお金を払って、時間をかけて酒を飲むことに、一体何を求めているのだろうか。
こんな風に真面目に考察すると、飲酒のバカらしさが浮き彫りになって、酒を断って良かったと、つくづくに思うのである。
飲んだくれていた頃は、一体一日にいくら酒に使っていたのだろう。そして、酒を飲むことによって何を得ていたのだろう。
まだ酒をやめる踏ん切りのつかぬ人は、是非とも、飲酒の費用対効果を考えてみることをお勧めする。
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