今日も、飲酒運転のニュースが目に付いた。
何度も書いているけれど、AIによる完全なる自動運転が実現し、地球上の車が全てそれになるまでは、飲酒運転は決して無くならない。
車どころか、今や私は、酒を飲んで道を歩くことすら、想像するだに、コワイ。
大体、まっすぐに歩けないし、ふらふらとして、走って来る車へと自分からぶつかってしまうかも知れないし。
酒を断ってから暫くは、飲みたさを我慢するだけで精一杯だが、その内に落ち着いて来ると、飲んでいた頃の自分を客観視出来るようになる。
すると、野放図に薬物アルコールを飲んでいた過去の自分が、ひたすら恐ろしくなって来る。背筋が凍りつく。
「自分は何て恐ろしい飲み方をしていたのだろう」
「自分が飲んでいたのは、酒と名付けられた化学薬品だった」
「運よく何も無かっただけだ。自分や他人の命を酒に奪われていたかもしれなかった」
一歩間違えば、こうして冷静に飲んだくれ時代を思い出している自分など、存在し得なかったかもしれないのである。
困ったことに、現役の飲んだくれは、酒のコワさなど、意識しない。ただ飲んで酔うことにしか目が向いていないので、毎日気軽に酒を飲んでいる。
酒をやめないと、本当の酒のコワさが見えて来ない。本当は、酒の正体、酒のコワさが分かった上で酒を断つのが理想だが、飲んでいる内は、その肝心なことが分からない。
酒を断ってからの期間が長くなればなるほど、それに正比例して、酒の正体や酒のコワさがとても鮮明に見えて来る。なので、私はそれを毎日文章にして伝えている。
たった今、酒の正体、酒のコワさがぼんやりとしか分からなくとも、自分は酒をやめた方がいいかも知れない、と感じた人に、やがて明らかになる酒の真実を、先に伝えてあげたい。老婆心である。
私が酒を断った頃、酒の正体、酒のコワさ、酒の真実について、すぐには分からなかった。
「なるほど、酒とはこんなに恐ろしいものであったか」
「そんなものを断った私の断酒行動は、全く正しいではないか」
「暫くは辛く苦しいようだが、続けて行く価値は大いにある」
このようなことを、酒を断った当初から分かっていれば、飲みたさで右に左にふらつくつくとしても、そのブレはとても小さくて済むはずだ。
今、酒を飲みつつこれを読んでいる方がいたら、私はこう言いたい。
酒の本当のコワさは、酒をやめてからでないと分からない。酒にどっぷりと浸っている内は、酒のコワさなど分かるわけがない。
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