今日は、結論から書いてみる。
「断酒の神髄」とは?
「ただひたすら続ける」こと。
私の断酒初年度、断ってから10か月くらいの頃に書いた記事の中で、断酒の神髄について、書いていた。
上のブログ記事の中で、こんなことを書いている。
『諦観』の二つの意味に、断酒の神髄が示されている。酒の本質をはっきりと見きわめたならば、酒をあきらめ、飲んではならぬことを悟って超然とする。
いやいや、こんな禅の坊さんのように、酒の本質を見極め、諦め、悟って超然とすることなど、出来るわけないし、出来てたらそもそも苦しまないってば・・・と、今の私は思う。
言ってみればこれは、この頃の私の、こんな風になりたいな!との願望だったのだ。こんな高尚な悟りのような心境になれる人は、そもそもアルコール依存症などにはならないだろう。
私が最近感じているのは、次のようなことだ。至ってシンプルだし、どこにも秘伝のようなものは無い。
断酒を始めたばかりの人にも、何年もやめていてそれなりに落ち着いている人にも、通ずる断酒の神髄は、冒頭に書いた、
「ただひたすら続ける」
こと。
頭に悪魔の誘惑の言葉が浮かび、飲まない理由を覆し、何とか飲ませようとする力が働くことがある。
そんな時でも、それがどんなに説得力ある理由であっても、
「私は、飲まない」
と、ただひたすらに断酒を続けることが、断酒の神髄なのである。
よく、何かの記念だとか、同窓会の集まりだとか、人生に於いて頻度の少ない集まりで、ここだけだからと、飲酒してしまうケースがあるようだ。
いつでも、どんな時でも、どんなシチュエーションでも、
「私は、飲まない」
を貫くことこそ、断酒の神髄なのだ。
その内に、
「私は、飲まない」
が、当たり前になる日が来る。
たまたま、こんなニュースを見かけたけれど、
「私は、飲まない」
の素晴らしさが分かるだろう。
どっちが悪いんだか・・・飲み過ぎた酒が悪いってのは分かっている
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2019年5月26日
会社の飲み会後に同僚に殴られ男性“死亡” #日テレNEWS24 #日テレ #ntv https://t.co/sX6XozdVlq
飲み会で、泥酔した同僚に殴り掛かられ、殴り返したら、相手が死んでしまったと言う。
はてさて、殴り掛かったほうが悪いのか、殴り返したほうが悪いのか・・・酒が悪いのは明白だが、その他は良く分からない。
アルコール飲料の酒は、人間を暴力的魔物に、いとも簡単に変えてしまうことだけは確かである。
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