酒を有難がるのは、薬が毒であることを知らずに、より多く出して貰うことを喜ぶ老人の心理に似ている。
私の父親は医者嫌いで、殆ど医者へは行かなかった。晩年は、そうも行かず、入退院を何度か繰り返した。
母親は、良く医者に掛かっては、色んな種類の薬を処方されていた。一種類よりは二種類、二種類よりは三種類と、より多くの薬を出してもらうほうが有難いようなことを言っていた。
その私の両親は既にこの世にいない。妻の父親は他界しているが、母親は健在である。
妻の母親(お義母さん)は、今のところ元気にひとり暮らしをしている。
たまに風邪を引いたりして医者にかかるようだが、お義母さんの、医者選びの基準も、 私の母親と同じようなものだ。これは老人たちの医者選びの標準的基準なのかな。
どんな医者がいい医者なのかと言うと・・・
話しを聞いてくれることと、沢山の薬を出してくれること、だそうだ。
健康状態に関する話だけでなく、世間話もするのだろうか。その辺は分からなくもない。
だが、薬を沢山出してくれるのが良い医者と言うのは、わけが分からない。
今、多剤大量処方と言うのが問題になっており、医者を何軒かハシゴして、10種類も20種類も薬を処方されている老人がいるそうだ。
薬は何であれ、人体には有毒なのである。
これは、薬学を学んでいる息子からの受け売りでもあるが、息子によると、大学で薬学を教える先生は、自分は薬を極力飲まないそうだ。何故なら、薬は、人体には有毒であることを良く知っているから。
考えてみれば、酒も薬であると言えなくもない。薬物アルコールが主成分なのだから。
老人が、医者が沢山の薬を処方してくれたのを有難がるのと似た心理が、飲んべーにもあって、酒を沢山飲めるのが何故か嬉しい。
まだ処方薬のほうがマシなのは、服用する量が定められていることだろうか。一日に何回、何錠を飲むのか、決まっている。薬は、用法を守らないと、効果が無いどころか、有害である。
本当は酒も同じで、飲むのなら、その人に応じた量があるのだと思う。酒の効き目が程よく出るのは、ほろ酔い程度の酔い具合だろう。
私の場合、ほろ酔い程度で済むことは先ず無くて、ほろ酔いは導入に過ぎず、泥酔まで一気に進むのが定番であった。
薬は、場合によっては服用が必要であり、症状が改善すれば、医者の判断によって服用を中止することが出来る。
酒は、全く飲む必要が無いのに、勝手に飲むようになり、アルコール依存症が進むに連れて、引用を中止するのが難しくなる。真に厄介な飲み物である。
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