酒をやめてhappyになろう!

31年間飲んできた酒をついにやめる日が来ました。でも、「断酒」はつらいよ。。。さて、いつまで続くか、続けられるか。はっきり言って、自信なし!《飲酒コントロール不能な「のみすけ」が書いてます。適正飲酒の方、酒を愛飲されている方は、当ブログをスルー(無視)して下さい》[コメント気まぐれ返信中m(_"_)m]

断酒・断酒・断酒!!

願掛けて酒を断つ(断酒3年219日目)

 昔から、神仏に願い祈る事を「願掛け」と言い、水ごりを取ったり、お百度参りをしたり、好きなものを断つ断ち物をしたりする風習があった。

 

 例えば、我が子に何かの問題が生じ、それを何とかしたいと切に願う母親が、願掛けをする。それ以外に成す術が見つからないからだ。

 

 自分が気付いてやめる酒も、自らの平和な暮らしを願い祈るための、断ち物だと考えれば、断酒も願掛けとなる。

 

 3年前に、おもしろい記事を書いていた。
 

 2013/11/26
 『飲酒教やめて断酒教に入りませんか?(断酒257日目)

 

 この時書いたのは、信仰の有る人も無い人も、断酒教に入信して、唯一の教義、「酒を飲まない」を実践しようってことだった。

 

 この時の記事でも書いているが、酒をやめられないのは、カルト宗教の飲酒教にはまってしまったようなものだ。問題のある宗教にはまった人は、本人は信じた道をひたすら正しいと思って歩んでいるが、周囲から見れば明らかに異常である。

 

 この飲酒教から離脱出来るかどうかのポイントは、本人がそれに気づくかどうか。先ず始めは、飽くまでも本人の自覚だ。これが無いと、スタートラインにさえ立てない。

 

 酒断ちの願掛けをするとして、願うものは何だろうか。私は、平和な生活を願って、酒を断った。平和とは、心配やもめ事が無く、穏やかなこと。そのようなさま。飲んだくれには、心配やもめ事が付いて回る。家族が心配し、本人はもめ事を起こす。

 

 本人が酒を断てば、家族の心配も、本人の起こすもめ事も、全て無くなる。
 

 平和な生活を祈って、願掛けて、酒を断つ。己のため、家族のため。

 

 色んな考え方、やり方があるけれど、こう言うのもいいかな。

 

 誰かに、

「なんで酒を飲まないの?」

と聞かれたら、

「今、あることの願掛けをしてまして、それが成就するまで、大好きな酒を断って願掛けしてるんですよ」

なんて答えはどうだろうか。

 

 古風だけれど、素敵な答えだと思う。


 

 

 

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