(桜に負けじと雪柳)
昨日も書いたけれど、別の観点から、断酒と意志の強弱が関係ないことについて書きたい。
最初に断わっておくと、私の断酒は飽くまでも私だけのやり方、つまり我流であって、これが万人向けとは思わない。が、それでも、参考にはなると思う。あれだけ飲んだくれだった自分が、こうして酒なしの生活を楽しむことが出来ているのだから。
酒を断たねば!と気付き、実際に断つところまでは良い。但し、それを継続しつつも、飲んでいた頃と同じ思いを酒に持ち続けたら、一生片思いの恋のようなものではないか。心理的によろしくない。このことを分かってほしい。
好きなものを好きなままで断とうとするから、
「意志が強くないと断酒が継続しない」
との思いが頭を占めるのではないだろうか。
(願望)飲みたい飲みたい飲みたい!
(戒め)飲んではダメ!飲んではダメ!飲んではダメ!
願望vs戒め・・・心の中で、この闘いは、かなりキツイ。いつも戒めが勝つとは限らないし。
ところで、以前書いたのは、病気なのだから、意志の力で酒をやめ続けるのは困難であるとの論調だった。(下記の記事参照)
2016/4/20
『強い意志で断酒できるか(断酒3年37日目)』
意志とは、どうしてもこれをやり遂げよう、或いは、その反対に、絶対にこれはやらないぞ!と言うような、心構えである。
酒を断つ!絶対に飲まないぞ!との、強い意志で断酒に臨むとする。それは、我慢の断酒であって、身体に良くない。丸で、苦行僧のようだ。
《強い意志》を、もっと砕けた表現にすると、
「頑張る」
だろうか。
頑張るとは・・・忍耐して、努力しとおす。気張る。ゆずらず強く主張し通す。困難にめげないで我慢してやり抜く。自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我を張る。ある場所を占めて動かないでいる。
良く、気軽に「頑張ります!」とか「頑張って!」などと言うけれど、この言葉「頑張る」は、私は好きではない。頑張るのは、何だか身体に悪そうだからである。
頑張るより楽しんだほうが良い。
頑張らない断酒のコツについて、今朝方tweetしたのが、これ。
飽くまでも我流!断酒のコツ!酒の捉え方を180度転換すれば楽になる(かも!?)。
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2017年4月2日
『断酒とは 意志の強弱 無関係 酒への執着 捨てることなり』
『酒を見て 酒と思うな 酒は毒! 飲めば身体に 異常を来たす』
『好きなまま 指を銜えて ガマンより 嫌ってしまえ やめた酒なら』
酒を見て、飲用の酒と思っている内は、断酒継続は辛いと、私は考える。酒を見て、自分にとっては毒であると認識すること。これが重要だ。他の人には百薬の長かもしれないが、自分にとっては、百毒の長である。
酒が普遍的に、薬であるとか毒であるとか、良いとか悪いとか、そんな事を言っているのではない。他人ではなく、自分にとっての酒が良いのか悪いのか、飲料なのか毒なのか、である。
再チャレンジャーさんが、コメント及びご自身のブログで、「意思」より「心」と書かれているが、全く同感である。自分の心が変われば、断酒も楽しくなるだろう。
(ついに、桜が!)
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久しぶりの読者通信!
先日記事の中に挿入した、義父の撮影した《ざぜん草》の写真をご覧になって、岩手のティモ太郎さんが、写真を送って来て下さいました!
私の怠慢で、掲載が遅くなってしまいました。申し訳ありません。
なんと、飲めない仙人(かみさん)と同郷の、岩手在住の方です!尚且つ、ティモ太郎さんの奥さまも、飲めない仙人だそうで、東北オフ会の話が出ました。
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