こだわる・・・漢字で書くと《拘る》
意味はというと、
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weblio辞書(三省堂 大辞林)より
こだわ・る こだはる 3
(動ラ五[四])
(1)心が何かにとらわれて、自由に考えることができなくなる。気にしなくてもいいようなことを気にする。拘泥する。
「金に―・る人」「済んだことにいつまでも―・るな」
(2)普通は軽視されがちなことにまで好みを主張する。
「ビールの銘柄に―・る」
(3)物事がとどこおる。障る。
「脇差の鍔(つば)が横つ腹へ―・つていてえのだ/滑稽本・膝栗毛 6」
(4)他人からの働きかけをこばむ。なんくせをつける。
「達ておいとまを願ひ給へ共、郡司師高―・つて埒明けず/浄瑠璃・娥哥がるた」
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酒に、拘る、拘泥する、執着する。自分から出た糸が、酒に絡みついて、離れない。引き寄せ合っている。最初は仲睦まじい恋人だったのに、時が経つ内に、もはや腐れ縁に変化している。
酒に拘ると、上記(1)(2)(3)(4)全ての意味で、自分自身に良いことが無い。
今まで何度か書いたが、当ブログへのアクセスを見ると、YahooとかGoogleの検索キーワードで、ダントツに多いのが、『アルコール性認知症』。
《アルコール性認知症の恐怖(断酒127日目)》で書いたので、どんなものかはそちらを見て頂くか、インターネットで調べれば、もっと詳しい情報がいくらでも出ている。
でも、簡単に書くと、長期間に渡って大量の飲酒を続けていると、アルコールによって前頭葉の機能が障害を起こし、認知症になることがあるという。ある程度長期間の断酒により、症状の進行を止めたり、改善することも可能のようだが、完全に元の脳に戻ることもない。
酒を飲みつつも、アルコール性認知症の恐怖を感じている人か、やめたけれど、過去に飲んでいたアルコールの障害が気になる人が、ご覧になっているのだろうか。
今日私が言いたいのは、拘りを捨てれば、飲まなきゃ飲まないで、それなりに楽しく生活が出来る、ということ。私の場合、酒のことが頭から離れなかった断酒直後に比べたら、最近は、飲みたい時があっても、今の《断酒生活の快適さ》のほうが《飲酒欲求》に勝っているから、さっと打ち消すことが出来る。
天秤で言うと、左に飲酒生活、右に断酒生活。右のほうが少しだけ下がった感じ。最初は左のほうがかなり下がっているが、段々釣り合いが取れてきて、今の状態になったようだ。少し下がっただけなので、飲酒欲求が消えたわけではない。
酒なんて、飲まなきゃ飲まないで、それなりに生活出来るし、飲まないほうが快適だ。今まで、酒のことをブログでこてんぱんに否定してきたけれど、最近の思いは、酒に罪は無い、ということ。酒を飲むか飲まないかは、自分の選択だ。
飲みたいから飲む、飲みたいけど飲まない、飲みたくないけど飲む、飲みたくないから飲まない。どの行為を選んでも、飲むか、飲まないか、だけだから。
飲まないほうが、アルコールによる様々な害を心配しなくて良いし、心理的にとっても楽だ。ただ、飲まないでいる生活に慣れるまでが、中々大変だし、かなりの忍耐が必要かもしれない。これは、自分自身で、色んな手段を講じて乗り越えるしかない。
酒を断つことに本気になって、この世に存在するあらゆる断酒の為の情報を探し、医療機関、自助の会(断酒会、AA等)その他を有効に利用して、とにかく実行し、継続するしかない。
私は、今まで書いてきたような断酒のメリットの他に、最近は、飲酒そのものから解放されて身軽な自分を感ずる。泥酔が無いとか、カネが浮くとか、二日酔いが無いとかの他に、酒に《こだわる》心が、《こだわっていた》心に変化しつつある。
今日の午後、いつかブログに書いた、私のマネをして、断酒を試みた知人とスポーツジムで会った。ちょっとキツそうな顔をしつつも、作った笑顔で、「昨日飲み過ぎた酒が、まだ抜けないんで、ここで運動して流します」と言っていた。
それを聞いて、あー、酒への執着と言うか、こだわりは、生半可な気持ちでは捨てられないんだなー、と、今更ながら思った。
(今日の花の写真は、全て散歩中に目についたもの。特に、下の薔薇は綺麗だったので、拡大版も)
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