私の断酒は、不飲酒へと変化し、もう、飲酒欲求に苦しむこともなくなった。
ひょっとして、不飲酒から、ただの飲まない人になるのかな、今年は。つまり、内のかみさんのように、生まれつき飲まない、酒を飲み物と思わない人。これは、有り得ないな(笑)
極たまにビールを飲みたいな、ということはある。ただそれは、酔いたいな、ではなく、炭酸ののど越しがほしいだけだ。そういう時は、ちょっときつめの炭酸飲料をコップに2~3杯飲めば気が済む。
(←今日は、これ。コーラ。2Lで、税込み162円だった。家族4人で飲んでも、まだ半分残ってる。私が一番多く飲んだかな。 かつて私が飲んでいた500mlの缶ビールもどきとか、缶酎ハイ1本が、ほぼこの値段だった。やっぱり、酒やめて家族と同じものを飲むのは、大正解だな。)
自分の始めた断酒の苦しさを、誰かに聞いてもらいたいのと、日々の心の整理のために、ブログを書き続けてきた。一日の変化は大したことがないが、これが積み重なると、「塵も積もれば山となる」の諺のとおり、今や、一年前の自分とは全然違うことを実感している。
『ダンシュはシュダン(断酒166日目)』ということで、断酒5か月半の頃のブログにも書いたが、所詮、断酒は、手段であって、目的ではない。断酒を最終目的と考えていたら、酒を飲まないだけでいるだけの、ただそれだけのことで、先がない。希望かなって、燃え尽き症候群となり、萎んでしまう。
私は、今の、酒を必要としない暮らしがとても快適であり、一年前の自分の決断と行動が正しかったと確信している。このあたりの心境は、明日、区切りの良い400日目を迎えるので、300日目の頃からの変化も踏まえて、書いてみようと思っている。
この一年間、本を読んだり、映画を観たり、ネットで様々な情報を収集したり、私はかなりアルコール依存症について学んだ。
それと、このブログにコメントを下さった方々からも、沢山学んだ。既に断酒を長くされている方からの励ましコメントは、私にとってとても力(チカラ)になった。ブログの期間が長くなるにつれ、一緒に断酒をされる方も出てきて、励まし合いながら、ここまで来た。
そんな中、アルコール依存症に苦しむ方々のブログを読んだり、youtubeを見たり、本を読んだりしていると、やっぱり、苦しみの根本原因たる酒の存在と、それを取り巻く世の中の仕組みが、おかしいと感じ、実に色んなことを日々考察し、造る側、売る側、買う側、飲む側について、批判したり、同情したりしてきた。
例えば、アルコール依存症で働くことも出来ず、入院したり、家にこもったり、酒さえ飲まなければ健康な成人が、オムツを着けていたりする。その面倒を見る家人の大変な様は、言語に絶する。また、何度も書くけれど、これらのことにより、年間4兆円もの損失が生じているという。
これまでの学びと思考を踏まえて、これらアルコール問題に対する今の私のスタンスは、次のようなものだ。
『酒を飲みたい人はそのまま飲み続ければいい。そういう人は傍から何を言われても、聞く耳をもたないから。
酒をやめたい人、実際に酒を断とうとしている人、断酒を開始した人、つまり、自分で自分の問題に気付き、何とかしようと考えている人。そういう人は、志を同じくする仲間として、一緒に励まし合って、これからも不飲酒生活を続けて生きましょう!』
何度も同じ例えを引き合いに出すが、喉の乾いていない馬を水辺に連れて行ったところで、決してその馬は水を飲まない。自分の飲酒に問題があるということを認識していない人に、いくら酒をやめろと言っても、やめるわけがないのだ。
例えば、ここひと月ほどコメントを入れて下さっているSKYさんは、もうすぐ断酒1か月になるそうだ。まさにSKYさんは、上に書いた、自分の問題に気付き、断酒を開始した人であり、同志である。このような方は、心から応援したい。
(追記:読み直していて、応援という言葉には、とても違和感を感じた。マラソンしている人に沿道で手を振ってガンバレ~というのが、応援。私は走っている方なので、「応援したい」ではなく、共に走っている仲間として「励まし合いたい」が、ふさわしい言葉だ!間違っていたが、敢えて書き直さず、ここに訂正する。)
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