このブログを通じて知り合った人と、色んな通信手段でやり取りしている。
話題は、断酒に関わらず、日常生活のほんの一コマから、人生についてまで、他愛無かったり、とても深かったりする。
今日、話題になったのは、今こうして生きていることを素直に喜んで、受け入れることが出来る人には、酒は不要であること。
そもそも、この広い宇宙の中に浮かぶ地球上に、今こうして生きていること自体が奇跡であり、その上もし、これと言った大病もせずに暮らしているのであれば、それ以上の何かを期待して酒を飲むのは、無いものねだりではないだろうか。
ないものねだりとは、漢字では《無い物強請り》と書き、意味は、無い物を欲しがること。実現できないことを無理に望むこと。
アルコールの薬理作用でもたらされる、脳の麻痺。これを快感と認識し、常に求めるようになると、アル中である。 アルコールによる脳内の桃源郷は、本来は無い物・実現できないことなのだが、無理に望んで酒を飲む。
アルコールは、頭の天辺からつま先まで、身体のあらゆる部分に害を与える。
私は幸いにして、かなりの量の酒を長年飲んで来たにも関わらず、断酒以来、今のところ健康に暮らしている。
こうして生きていることが奇跡である。その上、痛いところも無く、普通に食事が出来て、トイレにも自分で行けるなら、これを幸せと認めないでどうしようか。
その昔、私は一体他に何を求めて酒を飲んでいたのだろうか。今思い返して見ると、実にあの頃の飲酒がバカバカしく思えるのだ。
たった今、こうして生きている自分を受け入れる。どんな状態だろうと、そのまま受け入れる。普通に呼吸して、食べて、行動出来ているなら、それが幸せであることを認める。もし、何か心配事や嫌なことがあっても、受け入れる。じっくり考える。現状から逃げようとして酒を飲んでも、何も変わらないことを認める。
こんなことを、今日やり取りした、ほんの短いフレーズの中で学んだのであった。
酒を断った仲間は、どこか達観している人が多い。飲酒を捨てると、別の生き方が根付いて、それはその人の考え方を良い方向へ更に飛躍させるようだ。
酒を断った仲間は、実に良く勉強している。色んなことを知っている。時にドキリとすることをズバリ言ってもらうこともある。考えてみれば、不思議な出会いでもある。私が、そして相手が、お互いに酒を断っていなければ、出会わなかったわけで、これだけでも、奇跡なのである。
現状をしっかりと認識し、受け入れるならば、飲酒は寧ろ害悪であることが良く分かる。
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