若い頃から格闘技が好きだった私は、ボクシングだけではなく、他のあらゆる武術、護身術にも興味がある。
大きな書店で、それらの雑誌を立ち読みするのが、何より気分転換になる。もちろん、気に入った記事があれば購入する。
今日、武術の雑誌、《月間秘伝》の9月号を読んでいたら、
『インパクト東京・モデルマギング「"私"を護る」護身プログラム
女性が自由に生きるための護身術』
と題する特集記事が載っていた。
簡単に書くと、女性が暴漢に絡まれた時、どう対処して、逃げるか、についての内容だった。興味ある方は、上記の雑誌を手に取って頂きたい。
ここから、今日のタイトル、「自由に生きるための断酒」が頭に浮かんだ。
断酒で自由に生きることは、書いたことが多分あるはずだと、過去記事を探したら、矢張り既に書いていた。
2016/4/30
『酒を飲まない只一点(断酒3年47日目)』
この記事のなかで、
「自分の人生を酒から解放して、自由に生きる。」
との一文がある。今日書きたいのは、正にこれだ。
断酒直後の人の脳裏には、酒を飲めないことが、不自由なことだとの思いがかなり強いのではないか。私はそうだった。
ところが、話は全く逆で、酒から解放された人生こそ、自由自在なのだ。酒を自由に飲んでいた頃は、本当は酒に束縛されていたのだ。これは、タバコでも全く同じだ。
自由に生きるための断酒であり、自由に生きるための禁煙なのである。
ここのところは、飲んだくれていたけれど断酒した人、ヘビースモーカーだったけれど禁煙した人なら、分かってもらえるはずだ。酒やタバコだけに止まらず、パチンコなどのギャンブルでも同じだ。日常生活の中で、○○がないとダメ、とか、○○をしないとダメのような依存は、人を縛るものである。
それら依存の対象を手放して、解放されて自由に生きることこそ、残された人生に必要なことである。
いつまでも酒に囚われていると、恐ろしい結末が待っているかもしれない。このことを十分に思い知らされるホットなニュースが、出ていた。
泥酔した54歳の男性が、車に轢かれたことに気付かなかった、との恐るべき事故だ。
泥酔男性、ひかれたことに気づかず(ホウドウキョク) - Yahoo!ニュース https://t.co/gelGf1liPc @YahooNewsTopics
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2017年8月15日
私はびっくりして、このニュースについて、3首ばかり作って、tweetした。
泥酔したら、車に轢かれても気付かない。
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2017年8月15日
酒は断つべし!24時間、素面でいるべし!
『轢かれても 気付かず寝てる 泥酔者 あな恐ろしや 酒の魔力よ』
『命さえ 奪われたこと 分からずに 三途の川で 気付く酔いどれ』
『飲まなけりゃ 命の危険 かなり減る 酔うことの意味 沈思黙考』
54歳、年齢も近い。私だって、酒を断っていなければ、同じようなことをやらかしていただろうと、背筋が寒くなった。
この男性は、これをきっかけに断酒するのだろうか。恐らく傷が癒えて退院したら、快気祝いと称して、また飲み始めるのではないだろうか・・・それだけ、酒の呪縛は強固である。
それを考えると、自ら酒の束縛を断ち切った断酒erは、素晴らしい。
断酒は、人間らしく自由に生きるための、生活の基本であり土台だ。
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