「今日で断酒1000日となった事を報告させて頂きます。」
いくピーさんから、久しぶりのコメント。
以前にコメント下さって一緒に断酒していた方から、またコメントが入ると、とても嬉しい。
ただ、その後に続いて、ちょっとだけ気になるフレーズが・・・
「田舎の同窓会や趣味の集まりくらいは少し酒を付き合っても良いのでは?という考えが強くなってきて迷ってます。」
断酒1000日。私も、断酒千日は感慨深かった。その日に書いたブログ。
2015/12/9
『ゴールではなく、スタートだ。(断酒2年270日目)』
その頃、ちょうど、グリコの公式Twitterで、
「ゴールではなく、スタートだ。」
と言うのを見付けて、これだ!と思い、使わせてもらった。
恐らく、千日でも、万日でも、誘惑はあると思って、こんなお題にしたのかな。
ある区切りの良い期間やめることが出来ると、何となくそれが到達点だったように勘違いして、少しなら飲んでも大丈夫かな、とか、飲酒をコントロール出来るかも、とか、アル中が治ったんじゃないか、とかの錯覚に陥ることがある。
酒なんぞ自分にはもう不要だ!と、自信を持って言える反面、ここまで来たなら、付き合い程度になら飲めるんじゃないか?と、思ったこともある。
酒そのものを嫌うやり方で断酒して来た私だったけれど、そこは元飲んだくれだから、頭の片隅に、飲酒の快楽が残っているわけで。
この誘惑は、何十年断酒を続けていても、ずっと無くならないのだろう。
スリップ(再飲酒)は、HALTに注意と言われる。
空腹、怒り、孤独、疲労。きっかけは、この4つだけではない。その他の要因でも、結局は、酒に逃げると一時的に楽になるのが、経験的に分かっているから、飲酒の誘惑はずっと付きまとうのだ。
ひょっとしたら、最初の内だけ、コントロールして飲めるかもしれない。
やってみたら、決めた量でピタリとやめることが出来るかもしれない。
やっぱり、大丈夫だったじゃないか!と、再飲酒に感動するかもしれない。
但し、これは、長続きしないだろう。
だって、断酒を決めた飲んだくれが、ある期間断酒出来たとして、それで全く別の、節度ある酒飲みに生まれ変わったなんて、これまで聞いたことがないから。
ひょっとして・・・との思いから再飲酒してみて、元の飲んだくれか、それ以上の飲んだくれに戻ってしまった話は、実話として巷にあふれている。
なので、百日でも、半年でも、1年でも、千日でも、3年でも、10年でも、30年でも、日々、断酒は、「ゴールではなく、スタートだ!」との思いで続けるのが一番だろうと、私は考える。
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