今日の午前中、10時ごろだったが、用があって二駅先まで電車に乗って出掛けての帰りだった。
私が座った目の前に、何やらぶつぶつ呟きながら、レジ袋にくるまれた酒をちびちび飲んでいる老人がいる。
アルコールの悪臭が、強烈に漂っており、私の鼻腔にも容赦なく入り込んで来る。一体、いつどこから乗車して、どれだけ飲んだら、こんなにもアルコールが空気中を浮遊するのか。
いつもならすぐに席を移動するのだが、たった二駅のことなので、私は、その老人を観察することにした。
男性で、きっと70歳代だろう。薄汚れたヨレヨレの格好で、髪の毛はボサボサ。呟くその口元を見ると、ほとんど歯がない。時おり手を振り上げたり、私を見てニヤニヤして話しかけたそうにしたり。
恐らく、この人は、酒が切れたらどこかで調達し、こうして飲み続けている、24時間のアル中なのだと思った。もはや、酒に自分の人生を明け渡してしまっている。見ていて憐憫に堪えない。
きっと自分も飲み続けていたら、目の前にいる老人のようになっていたことは、間違いない。
24時間身体にアルコールが回り続ける、燃料がアルコールのロボットのようだ。生活が酒中心に回り、酒が切れないように細心の注意を払って、酒を調達しているのだろう。
一人暮らしなのか、同居する家族がいるのか、その老人を見ただけでは分からないが、もし家族がいるとしても、邪魔者扱いされ、疎外されていると思う。
そしてますます、酒に逃げ、酒にハマり、酒に溺れて、酒の世界だけが、自分の現実となって生きている。それが、24時間のアル中だ。
さて、ここで話しは変わるが今朝、関西弁のCさんからLINEが入っていた。
彼は、昨年運送関係の仕事に転職し、早朝からハンドルを握っているわけだが、今朝の始業前アルコール検査に引っかかってしまったのだそうだ。
始末書を書かされ、大いなる反省を、会社から促されたとのこと。
その愚痴りのLINEでは、自分はアルコールの問題など抱えていないし、このくらいなら、車の運転に何の問題もない。こんなアルコールの検査は、非常に不愉快だと書いていた。
Cさんが昨夜、かなり多くの酒を飲んだことは間違いないのにね。
彼は、24時間飲み続けるアル中ではないが、飲んだ翌日まで酒に支配されてしまっているので、24時間のアル中に近づきつつあることは間違いはない。
断酒は、問題飲酒を抱えつつ生きている、大いなる飲んだくれ人間にとって、人生を正すための最後の手段であり、救いの糸である。
酒は、飲むも、飲まないも、意図的に自由自在に操ることの出来る人の飲み物である。飲むだけしか出来ない人は、飲み続けて廃人になるか、断って真人間になるか、の道しかないのだ。
最後に、特に、今年から断酒を始めた人に、これだけは言っておきたい。
人生のどこかの時点で酒を断たずに、そのままだらだらと飲み続けて、24時間のアル中になってしまわぬよう、せっかく始めた断酒だ、そのまま、年を越し、更には翌年全期間にわたって、素面を貫こう!
酒なんぞ、飲んでる場合じゃない!
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