今日は、地元の大学の市民講座で、生物多様性について学んで来た。
生物多様性って、ナニ?と言う方は、今年の5月22日に書いた記事をリンクしておくので、そちらを読んで頂きたい。
自分でも読み返してみたが、この記事では、酒飲みと断酒者の多様性について、かなり真面目に考察し、論じている。
今日は、飲んだくれと断酒erの多様性について、もっと砕けた内容で論じてみる。
最初に結論を書いてしまうと、飲んだくれの多様性には、丸で意味がないが、断酒erの多様性には、非常に意味があると言うこと。
飲んだくれの多様性とは、一括りに飲んだくれと言っても、高機能アルコール依存症の飲んだくれもいれば、重度のアルコール依存症の飲んだくれ、更にその間を埋める、様々なレベルの飲んだくれがいること。
これらアルコール依存症に於ける様々なレベルの飲んだくれは、皆一様に、アルコールの奴隷であることに変わりはなく、つまりは単なるアル中の群れに過ぎない。
更には、飲酒環境の多様性がある。実際のところ、酒も飲み方も飲む場所も、そして飲んだくれの人々も、実に様々であり、この世は飲酒者の天国である。
一方、断酒erの多様性とは、私が常日頃主張している、断酒のやり方・考え方は人それぞれで、どんなやり方でも考え方でも、酒をやめることを継続出来ていれば、OK!との考えに基づき、断酒している人の数だけ多様性に満ちていると言うことだ。
もうひとつ、断酒環境の多様性についてだが、これは、飲酒環境に比すれば、あまりにも貧しいと言える。断酒環境そのものが、無きに等しいとさえ言える。
酒を断つことの正当性が、全然浸透していない。酒を断つ人は、身体に病変を持ち、ドクターストップがかかった人か、アルコール依存症の人である、と言うような偏見に満ちた定義が罷り通っている。
本当のところは、酒は飲まないほうが良いもので、飲んでいるなら断った方が良いものなのだ。何故なら、酒の主成分のアルコールは、人体に有害であることが証明されているからである。
これからは、断酒環境の多様性をもっと考えて行かねばならない。
飲む人も断つ人も、酒に於いては平等でないとおかしい。
最後に、ちょっと話は変わるが、最近ニュース欄を賑わしている、パイロットの飲酒について。
車には「飲んだら乗るな乗るなら飲むな」と言う、役に立たない標語があるが、航空機のパイロットに、まさかの酒気帯び乗務があったとは、本当に信じがたいことだ。
離陸してしまえば、コンピューターによる自動操縦がメインとなるので、酔っていても大丈夫と言うことなのかもしれないが、非常事態が生じた、いざと言う時に、的確な判断が出来ないことは明白である。
どこまで飲んだくれを甘やかすのだろう。
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