『光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。』
(ヨハネによる福音書1章5節:新改訳2017)
後で貼るが、twitterで、断酒仲間の方とのやりとりがあった。それで私は、こんなことをtweetした。
酒をやめられない人と酒をやめた人の間には、深い谷がある。やめられない人は、その谷を飛び越えようとしないが、やめた人は、勇気を出して、飛び越えた。飲んだくれからは、断酒した人がまぶしすぎて、正視に堪えないので、誹謗中傷したりする。ある意味、断酒erと飲んだくれは、光と闇かもしれない。
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2018年12月26日
今でこそ殆ど無くなったが、断酒初年度の、酒を大嫌いになるために、酒を徹底的に叩き、酒の問題点を調べ上げ、酒の悪口をブログに書きまくっていた頃、コメント欄やメールで、誹謗中傷を、何度も受けた。
当時は、真っ向勝負を挑んだ。そんなことをして来るのは、私が酔っ払いネットサーファーと呼んでいる、酒に酔って頭のイカレタ連中であった。アルコールでラリっているのだ。
酒を断ってから分かったことは、単純である。飲んだくれている人と、酒を断った人との間には、とても深い谷があること。言葉で示すなら、次のようである。
淀んでいる。酒浸りの人は、闇に沈んでいる。
澄んでいる。断酒した人は、光り輝いている。
この、光と闇で思い出したのが、直近のクリスマスとも関連するけれど、冒頭の新約聖書のヨハネの福音書だった。
どう考えても、酒浸りの人は、闇の中ではなかろうか。その人の頭の中は、お花畑で蝶が舞っているかもしれないが。
酒を断った人は、心も瞳も澄み、光り輝いている。
闇に潜む飲んだくれは、断酒の光がまぶしいので、それを消そうとして来ることがある。こいつらの攻撃は、アルコールパワー(悪魔のチカラ)を使って、やたらとしつこいこともある。
だが、素面vs飲んだくれ、これの勝負は、闘う前についているのだ。酔っ払いが素面に勝てるわけがないのだ。
『光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。』
最後に、tweetのやり取りを貼っておく。
ここ数日素敵なフォロワーさんが増えて嬉しいです
— あど@年末断酒強化委員長 (@ACE_VOCAL) 2018年12月25日
「信念を貫くと必ずいいことがある」
飲酒欲求と闘いながら
俺は素面の状態のまま
お酒に一滴も頼らず
共依存と酔っぱらいの
誹謗中傷Gと闘う(*・ᴗ・*)و
1年、3年、10年
そしてこれから
断酒をする人を守ってゆきたい#断酒#正義は勝つ pic.twitter.com/fb7lw4zBDZ
闘牛士のようにですね。人とアルコールで牛になってしまった者ですね。はい。実は全く相手の方は見てなくて、たまに報告が入るのでその時に思い出すくらいです(笑)男爵さんも経験あったんですよね。参考になります
— あど@年末断酒強化委員長 (@ACE_VOCAL) 2018年12月25日
ブログも沢山の読者さんいて素晴らしいですね。こういったネットワーク大切にしたい☺️
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