昨日の記事にコメント下さった、けんぞうさん。
書いた私でさえ最初から読むことは無いのだが、最初の記事から読んで下さったそうだ。
以前記事にしたことがあるけれど、私のブログを日々読んで支えて下さる、縁の下の力持ち的存在の、サイレント断酒erのお一人かな。
けんぞうさんのような方は、沢山いらっしゃり、地味な断酒を継続されていることだろう。日々のアクセス数で、それがとても良く分かるのだ。
↓以前書いた、サイレント断酒erの記事。
派手な断酒と、地味な断酒があるとすれば、私のは後者のほうである。
派手な断酒があるとして、たぶん、続かないのではないかな。
ドッカーン!と断酒の花火を打ち上げて、パッと開いて、それで終わりかも。
普段地味に続けている断酒だからこそ、たまにオフ会などで同志に会うと、大いに盛り上がるのだろう。
話したいことが山のようにあり、一方聞いてみたいことも山のようにあるので、設定された時間は、矢のように過ぎて行くのだ。
表面では、断酒は、ただ酒を飲まないだけの日々を続けるだけの、地味な活動かもしれない。
だが、その裏面では、断酒は全く地味ではない。
酒を断ってから暫くすると、ある日のこと、酒を飲まない日々が輝き出す。
表面では地味な断酒を続けているのだが、裏面では酒を飲まない日々が派手に輝き出す。
このことは、断酒を始めて1年以上経過された方なら分かってもらえると思う。
地味と派手で考えると、飲酒して酔っ払う行為は派手だったわけだ。そこから立ち直るには、地味な断酒を経なければならない。
飲酒(派手)⇒断酒(地味)⇒酒なし生活(派手でも地味でも)
こんな感じかな。
酒なし生活は、地味でも派手でも好きに生きたら良い。
酒さえ飲まなければ、自分の人生だ、自由に生きよう。
今の私があるのも、地味に断酒と、このブログを続けて来たからだと心底思う。途中、断酒をもっと派手に盛り上げようと、色んなことを試みたが、結局はこの断酒ブログに落ち着いた。
と、書いて来たけれど、いやいや私は派手に断酒しているよ、と言う方もいらっしゃるだろうし、それはそれで、良い。
日々書くこのブログに賛同して下さる断酒仲間は、数えたら一体何人いるのだろうかと、毎日パソコンのキーボードをポコポコと叩きながら、ワクワクドキドキしている。
蟷螂之斧(とうろうのおの)と言う、昔の中国の故事から来た四字熟語があるけれど、正に私の断酒ブログなど、車に立ち向かうカマキリに過ぎない。
それでも、そのカマキリが何千匹、何万匹、何十万匹と集まれば、車にだって立ち向かえる。
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