酔っ払いを好きな人は、酔っ払い。
よく見る光景は、酔っ払いたちが仲良く徒党を組んで騒ぎ闊歩する姿。
素面であれば、酔っ払いとは関わりたくない。
一昨日の『酔っ払い専用車両』の内容は、ここ最近では受けたようで、コメント数が二桁になった。
断酒した人は、自分がかつては世の中の嫌われ者の酔っ払いだったくせに、酒から離れてみると、何故にこうも酔っ払いが疎ましいのか。
私の経験から、タバコにも全く同じことが当てはまり、自分がかつては煙突人間だったくせに、タバコから離れてみると、喫煙者がとても疎ましい。
自分がかつてあれほどに馴染んでいたモノ・習慣なのに、やめることを決意し、最初は大変な思いをしても、ある期間が過ぎると、それら(タバコ、アルコール)の臭いが漂うだけで、オエェーーー!になる。
さて、《隔離》だが、辞書によれば、概ね3つほどの意味がある。
酔っ払いや酒の《隔離》ならば、次の説明が合っていると思う。
「伝染性の病原体の蔓延 (まんえん) を防ぐためなど、他から引き離して接触を避けること。」(デジタル大辞泉より)
酔っ払いは伝染性の病原体ではないが、その存在そのものが、大変に迷惑であることが多い。私は、夜の街や電車で酔っ払いを見かけると、接触しないよう、出来るだけ距離を置くように心掛けている。
酔っ払いを捕獲して、物理的に隔離してしまうことなど不可能なので、こちらから近づかないようにする自衛策を講ずる他ない訳だ。
私が今日書きたかった「酔っ払いの隔離」とは、物理的に酔っ払いを隔離することではない。
では、どんなことか?
私と他人(酔っ払い)の関係ではなくて、私自身の心の中のことである。
飲まないアル中の私の中には、断酒している自分と、酔っ払いの自分が常に同居している。(酔っ払いの自分と言う表現には語弊があるかもしれない。酒を飲みたい自分とか、酒を飲んでしまうかも知れない自分と言うこと。)
自分の中にいる酔っ払いの自分を、断酒している自分が監視し、常に隔離しておくこと。これが断酒の秘訣である。
私の中にいて、かつては私を苦しめた、飲んだくれの自分。今では大部縮んで、かなり小さくなってしまったが、それでも虎視眈々と復帰の機会を伺っている。飲酒をそそのかす小悪魔と表現することも出来る。
何年何十年と酒を断っていても、アルコールが身体に入れば、いつだって形勢は逆転するのだ。
しっかりと、自分の中の酔っ払いを隔離し、常日頃から飼いならしておこう。
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