『先ず隗より始めよ』
中国の故事からきた言葉。まずかいよりはじめよ。
遠大な事業や計画を始めるときには、まずは手近なところから着手するのがいいというたとえ。
『先ず断より始めよ』
「隗」を「断」に変えて、私が作った言葉。まずだんよりはじめよ。
泳ぎ方を覚えてから水に入ろうって人はいない。断酒も、酒の断ち方を覚えてから始めようってのはおかしな話。水泳なら、泳げる人に教わる。断酒なら、既に断酒してる人を見習う。何れにしろ、泳ぎたいなら、先ず水に入ってみなきゃ。酒を断ちたいなら、先ず断ってみなきゃね。その先の話はそれからだ。
— 断酒男爵 (@anomiyakun) August 17, 2019
もしも今あなたが、酒をやめる方法を探してからやめようとしているなら、ナンセンス!
それはあたかも、泳げる方法を探してから水泳を始めるのと同じだから。
泳ぎたいなら、先ず恐々と水に入ってみないと。
酒をやめたいなら、先ずは断ってみないと。
まあ、そんなことをtweetしてみた。
驚くことに世の中には、酒のやめ方を教える人がいる。私は、酒のやめ方とは、人から教わるものではなくて、苦しみながら自分で身に着けて行くものだと確信している。
酒を断つことは、苦しいことであって、それを如何に楽しいことに変えるか、自分で工夫することで、断酒をどんどん自分のものに出来るのだ。
先ずは、酒を断つこと。これが先決だ。
どこをどう探しても、自分にピッタリの酒のやめ方など、転がっていやしない。
ひとつ、酒をやめようと思った人が先んじているのは、自覚の点である。
自分の病(アル中)を自覚できず、傍から言われても認めない人は、自ら酒を断つことをしない。
他人が書いている断酒ブログを読みに来る人は、少なくとも自分の飲酒に問題があることを自覚しているはずだ。
この点が、酒を断つ上では非常に重要だ。医者へ行って診断してもらう必要などなくて、自分の飲酒に問題を感じた時点で、既にアル中(アルコール依存症)なのである。
軽症から重症までの、程度の差こそあれ、アル中を治療する唯一の方法は、断酒なのだ。
四の五の飲む理由を探していないで、或いはグズグズと酒のやめ方を探したりしないで、断つことを始めるのが先決である。
『先ず断より始めよ』とは、酒をやめたいなら、先ずは断て、それが苦しかったらどうするか、継続するにはどうするか、そんなことは、断ちながら考えよ、と言うことだ。
それで、私は、断つならば断酒ブログも一緒に始め、日々の心の中身を正直に吐き出してみたらどうか、と、ひとつの断酒のやり方を勧めているのだ。
さあ、先ず断より始めよ!
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