12月にしては日中暖かい日だった。日射しが冬のそれではなく、一瞬夏を思い出すくらいだった。
この気温でなのか、昼前なのに、電車内で私の前に座った同世代くらいのおっさんは、ビールのロング缶をグビグビしていた。
私はそれを見て、いつもの感情が湧いて来た。
赤ちゃんがミルクを欲しがるように、アルコールを欲しがるアル中を見ると、気の毒でならない。
さて、話は昨日の続きになる。
私は思うのだが、断酒後の幸不幸は、自分で選択しているのだと。
幸せを選んだ人は幸せだし、不幸を選んだ人は不幸なのだと。
断酒とは、酒を棄ててカラッと生きることなのに、心の中にじくじくといつまでも酒ヘの未練を持ちながら生きるなら、きっとそれは不幸なことではないか。
酒を断ってから何年も過ぎているとしても、日々そんな思いでいるなら、一体何のための断酒なのか、私には訳が分からない。
せっかく断酒しているのに、心の中は日々酒なんぞに振り回され、かき回されて生きているなんて・・・背筋が寒くなる。
自分で断酒後の幸福を選ぶなら、あ~酒やめて良かったな~、本当に良かったな~と、毒物の酒なんぞをやめて生きている今を喜ぶところから始めなきゃ。
昨日の話に出て来た、10年以上も断酒しているのに、自分が幸福ではないと言う人は、その10年間、ひたすらに酒を飲みたいのをガマンしていたのだろう。
断酒後の自分が幸せになりたいなら、先ず、酒を物理的にも、精神的にも、綺麗さっぱり棄て去ることである。廃棄だ。
心の中に酒を残しておいてはいけない。それではいつまで経っても、本当の断酒ではない。大体からして、断酒は人生の目的ではなくて、幸せになるための手段に過ぎないのだから。
そんなに酒に未練を残しながら、毎日断酒を続けるなど、精神の拷問ではないか。なぜ考え方を転換しないのか。
断酒して幸せになりたいのか、不幸になりたいのか。ここのところを先ずはっきりさせよう。
幸せになりたいのなら、それを自分で選び取ることが出来る。酒をやめたことを心の底から喜ぶことが大事だ。
不幸になりたいのなら、いつまでも酒を思って、じくじくと酒を飲めない自分をば惨めに感じることだ。
断酒後の自分が幸せになるのか、不幸になるのか、それは心の持ち方の問題である。
同じ日に酒を断って10年間継続しているAさんとBさんがいるとする。
同じ10年断酒しているのに、Aさんは幸せになり、Bさんは不幸だとしたら、どうだろうか。
もちろん、目指すのは、幸せなAさんではないか。
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