今日も問題視されていた、パチンコに並ぶ人。
コロナ禍の渦中にあって、感染の危険などものともせずに、パチンコ屋へ足繁く通う人たちは、病気なのだ。ギャンブル依存症。
自分の住む自治体では、どこもパチンコ屋が開いてないからと、車や電車で越境してまで、他県のパチンコ屋に行く人もいるそうだ。
私はギャンブルは全くしないのだが、アルコール依存症なので、他の依存症の人のことは良く分かる。
〇〇依存症の人は、〇〇が生活の第一優先となり、〇〇の為に生きているような、そんな日常になってしまう。
さて、アルコール依存症だが・・・
アルコール依存症でなくとも、日頃酒を飲む習慣のある人は、自分が酔ってしでかしたことが、家族や友人や恋人を深く傷つけてしまうことがあることを肝に銘じるべきだ。
酔っ払いの父親は覚えてなくても、娘は「殺すぞ!」と脅されたことをしっかり記憶している。https://t.co/EA5PfmdrN2
— 断酒男爵 (@anomiyakun) April 27, 2020
このtweetのリンク先の記事を読むと、酔っ払った父親は、中学生の娘に対して、「殺すぞ!」と脅している。
取り調べに対して、酔っ払い容疑者の常套文句「酔っていて覚えていない」と答えているそうだ。
脅された側の娘にしてみれば、実の父親に、殺すと凄まれたわけで、これは一生癒えることのない、心の深い傷となったわけである。
やった側とやられた側、つまり加害者と被害者の関係は、酒酔いに関係なく、いつだって被害者が一生の傷を負うのだ。
私も酔っ払っては、家族を傷つけていた。
まだ救われるのは、私の場合、先ほど引用したtweetにあるような、一生の傷になるほどの危害を家族に加えたことは無い。
今でも、ふとした会話の中で、私が酔っ払って家族にしたこと、言ったことが、出て来る。家族は素面なので、私の酔っ払った上での言動をしっかりと記憶している。
ところが、やった側言った側の私には、自分のしでかしたことなのにも関わらず、一切覚えていないのだ。
恐ろしいことだ。酔ってしまうことは、自分だけのことでは済まないのであるから。
酔っても、自分の口からは言葉が出るし、手足は動くのである。そして酔った時の脳は、アルコールに支配されている。
アルコールの命ずるままに、弱い立場の人を傷つけているかもしれない。加害側の酔った人間は何も覚えていないが、被害側の素面の人間は、全て鮮明に覚えている。
やられた側は決して忘れないのだ。
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