今日から開く店が多かった。
長かった営業自粛から、再度開店へと舵を切った大きなデパート。
鉄道も、かつてのように、停車する各駅からは、そこそこの人が乗り込んで来る。
緊急事態宣言が解かれて、街は活気を取り戻した。
人々の行動が、以前に戻りつつある。
飲んだくれの行動も同じで、元に戻って来ている。
さて、私が今日目にしたニュースで、とても腹立たしかったのは、これだ。
木村花さん死去で「中傷加害者」から弁護士への相談急増「軽い気持ちだった」「心配になってきた」|弁護士ドットコムニュース https://t.co/Dp08RUh4Pq @bengo4topicsより
— 断酒男爵 (@anomiyakun) May 31, 2020
無辜の人を死に至らしめておいて、軽い気持ちだったとか、心配になって来たとか、何を言ってるんだバカヤローーー!!と言いたい。
ほんの軽い気持ちで、誰か向けてしたことが、結果としてとんでもない事態を引き起こし、後から自分を重く暗く苦しい気持ちにさせることが多々ある。
飲酒によるトラブルもその最たるものではないか。
先日書いた、二十歳の青年が飲酒後に川に入り亡くなった事件も、軽い気持ちで飲酒して、取り返しの付かぬことになった。
この場合は、軽い気持ちが重い気持ちどころか、死を連れて来たのだ。
人の心を傷つけ、人を死に至らしめるのは、口から出る汚い言葉であることが多い。直接人の耳に音声で届く言葉だけでなく、tweet先の記事にあるように、SNSに於ける文字での誹謗中傷なども同じことだ。
素面でそう言うことをやった場合、本人はしっかりと記憶しており、今回のように相手が亡くなったりすると、自分のした行為を悔いる。
ところが、酔っ払って同様の行為をした場合、本人は、そのことを記憶すらしていないし、仮に相手が亡くなっても、自分とは全く無関係だと思うことだろう。
酔っ払ってしたことが、人の人生を狂わせてしまうかもしれないのだ。加害者の本人がそのことを全く覚えていないことが、恐ろしいではないか。
素面の時だって、他人に思い遣りを持って接していれば、誹謗したり中傷したりなどするわけがない。
自分がしてほしくないことは、他人にもしてはならず、自分がしてもらって嬉しいことを、他人にしてあげるのが良い。
それにしても、ネット社会の匿名性はとても怖い。
どこの誰か分からない人に寄って集って虐められる人の辛さが良く分かる。
軽い気持ちが人を殺すことだってあるのだ。
新約聖書・ヤコブの手紙3章8節
『しかし、舌を制することができる人は、だれもいません。舌は休むことのない悪であり、死の毒で満ちています。』[新改訳2017版・聖書]
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