↑この写真は、今日、岩手のティモ太郎さんが送ってくれたもの。
仕事の途中、あまりにも美しい光景だったので、撮影したそうだ。
酒をやめると、自然の美しさに気付くようになる。私も、酒を断ってから、道端に咲く雑草の花の美しさにさえ感動するようになった。
そして、世にある植物にはきちんとそれぞれの名前が付けられており、雑草などと一括りに呼ぶべきものでないことも、断酒後に学んだこと。
酒から離れた人は、自然に近付く。わざわざ秘境のようなところへ行かなくても、自分の生活環境の中にある、当たり前の自然に気が付く。
何故だろう。それまでアルコールによって蓋をされていた感性が、酒を断つことにより蘇るので、自然からの語り掛けに、敏感に反応するからだと思う。
先日、写真を整理していて気付いたことがある。
私が撮影した写真、かみさんが撮影した写真、子供たちが撮影した写真がある。デジカメなので、撮影日の情報が入っている。
私の写真だけ、断酒の前後で、明らかな違いがあるのだ。
私の断酒前の写真は、その被写体が人物ばかりである。殆どが、子供の写真なのだ。子供が生まれる前ならば、三脚とタイマーを使って、夫婦の写真。
かみさんや子供たちが撮影した写真では、私の断酒前後に関わらず、自然がその被写体になっているものが多く見られる。
子供たちと言っても、もう内の子らは大人だが、保育園~小学生くらいの頃に撮影した写真を見ると、空や雲や虫や花など、目に飛び込んで来た自然を多く撮影している。
酒を全く飲まぬまま大人になったかみさんも、その撮影の被写体は、子供ばかりでなくて、その時に目に入った草花や景色なども多く写している。
飲んだくれ時代、かみさんがデジカメで草花などを撮影しているのを、あんなもの撮影しても仕方ないのになあ、と口には出さないが、心の中で思っていた。
それが、酒を断ってから、兎に角、道を歩いていても、空や草花などの自然がとても新鮮で、美しいと感じるようになった。
断酒初年度のブログを見て頂くと分かるが、その日に目に付いた自然を被写体にして載せている。
断酒した人の脳が、アルコールの汚染から解放されると、自然からの語り掛けが目や耳に入るようになるのだ。
断酒することによって、目の前に広がる世界が、灰色や白黒だったものが、総天然色の鮮やかなものに変わるのである。
断酒erに、自然が語り掛けて来る。
酒を断つことの面白さ、不思議さがそこにある。
酒を断つと、人間関係だけでなく、自然との関係も修復されるのだ。
あなたも酒を断って、身の回りの大自然に感動してみないか。
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