良く利用する大型の家電の店では、食料品も扱っている。
今日は、たまたま、製造から少し日の過ぎた2L紙パックの日本酒が、破格の値段で売られていたので、買った。
断酒後、年に数回購入する酒は、日本酒だ。もちろん、飲むのではなくて、調味料としてだ。
紙パックの日本酒は、流しの下のスペースに、酢、味醂、醤油、オリーブオイルなどと共に並べてある。その位置づけ、その姿は、完全に、調味料である。
そんなに身近に酒が置いてあって大丈夫なの?
さすがに、断酒後1年間くらいは調味料としての酒でさえ避けていたが、今では全く問題なし。
今の我が家では、日本酒は、各種料理をする時の調味料として大活躍している。かつて、私を破壊していた酒が、料理の創造に一役買っている。
馬鹿と鋏は使いよう、とは良く言ったものである。酒だって、使いようだ。
我が家では酒は創造的に使われているが、一方、定番の破壊的使われ方を、昼日中に目撃した。
近所の定位置に良く見かけるアル中が陣取って、ストロング缶を飲んでいた。
この人は、歯が無くてフガフガで、頬がこけている。片手にストロング缶を持ち、ちびいび飲みながら、目を細めて道行く人を観察しているように見えた。
アル中脳の中で、道行く人はどのように映り、自分との対比で何を思っているのだろうか。
アル中が世を見る目は濁っている。一方、私がアル中を見る目は澄んでいる。
いつも見るたびに、あぁこの人、酒で壊されてる、と感じる。酒が人を創造的にすること絶対に無く、酒は人を破壊する。
酒は人生を破壊し、夢を壊し、家族を破壊し、仕事を壊し、友人関係を破壊し、その他、人間にとってのあらゆる創造的な行為を破壊する。
酔っ払ってしでかす数々の事件の報道を見るたびに、酒で壊された人がそのストーリーの主役となっていることが、悲しい。
実に多くの人が、酒で壊され、人間としての尊厳を失っている。
酒が、そのような危険性を含有する飲み物であることは、巧妙に伏せられている。
私はかつて酒で壊された人であった。
完全に酒で破壊される前に気付き、断酒によって、酒で壊された諸々を修復した。
今では、断酒によって創造的な生活を送っている。
酒による進行中の破壊を、即時にSTOPするためには、断酒以外に手段はない。残された道は、断酒道だけ。
断酒してすぐに創造的な生活は待っておらず、ほぼ1年間は、それまでの破壊された諸々の修復がメインとなる。断酒による禁断症状も、己の身体の修復のひとつだ。
酒に破壊された諸々の修復を経て、やっと創造的な生活が始まる。
飲酒から断酒へ。破壊から創造へ。
あなたも、断酒をどうぞ!
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