10月に入って5日。それなのに、昼間は暑くて夏のよう。
日中、汗ばむような陽気の日が連続する10月は、これまであったかな~?
夜になってもあまり気温が下がらず、8月の頃を思い出した。
家族で夕餉を終え、ちぃちゃんの5歳の誕生日を祝って、小さなチーズケーキを食べていた、20時頃・・・
外で酔っ払いの騒ぐ声が聞こえた。男の大きな声が響き、ついで、オェーーーッと、吐く時の音がした。
私たち家族は、顔を見合わせて、
「えぇ!こんな時間にもう、出来上がってるじゃん!」
酒類提供の店が普通に営業し出したので、早速どこかで飲んで来たのだろう。予想通り、ヨッパライの出現が始まった。それにしても、時間が早いな。20時とは。
このヨッパライは、20時以降、どうなったのかは知らぬが、少なくとも今晩はもう、飲酒で終わることだろう。恐らく飲み過ぎにより、明日もマトモには送れぬはずだ。
何時から酒を飲み始めたのか分からないが、飲酒とは凄まじいまでの労力を伴うものだ。
労力とは、辞書によれば、何かをするために心身を働かせること、骨折り、だそうだ。飲酒をするために、心身を働かせ、骨折っているのが、実態。中でも一番働いているのは、飲酒している人の肝臓であることは間違いない。
普通、労力を惜しまず注げば、それに対しての見返りがある。仕事でも家事でも、労力に見合った結果が、手に入る。
ところが、飲酒にどれだけ労力を注いでも、何も良いものが得られない。得られるものは、ヨッパライに変身出来ることと、翌日の二日酔いくらいか。
注いだ労力に見合うものは一切得られないのであれば、一体、何のための飲酒なのか。
ただ一時的に酔っ払い、気持ちが良くなるためだけの飲酒なのである。たったそれだけのために、多大なる労力を注いで、人は飲酒にハマる。
飲酒の習慣は、悪癖の部類に入る。飲酒が習慣化してしまうと、毎日酒を飲まずにはいられなくなり、飲酒ファースト、つまり薬物ファーストの生活になってしまう。
飲酒に惜しまず労力を注ぐようになると、もう、周りは見えない。完全に、自分だけの世界だ。
あまりにも早い時間帯に出現したヨッパライから、飲酒の労力について考えてみた。
そうそう、ちらっと書いたけれど、今日は我が家の白猫ちぃちゃんの5歳の誕生日。
早いもので、来た頃の子猫時代の面影はどこへやら、どっしりした白猫になった(笑)
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