今年6月に、千葉県の八街で起きた飲酒運転事故の初公判があった。
被告は、起訴内容を全面的に認めた。
あまりにも痛ましい事故であり、亡くなった二人の子供のことを思うと、泣けて仕方がない。
飲酒運転とは、ながら運転のひとつである。酒に酔いながら運転する行為だから、酔い「ながら」運転だ。
ながら運転とは、スマホやカーナビを操作しながら車を運転すること、と定義されている。「ながら」は、何かをしながらを意味するのだから、酒に酔いながら運転することも、ながら運転に該当する。
そもそも、自動車を運転する行為そのものが、それだけに集中していても、かなり高度な技術である。刻々と移り変わるあらゆる道路事情に即座に対応し、安全に車を走らせなければならない。
それを、アクセルを踏んでさえいれば車は前進を続けるものだから、アクセルを踏みながら、スマホの操作をしてしまう人がいる。
人間に備わっている目と脳は、同時に二つの対象物を見、それらについて同時に何かの行動を起こすことは出来ない。
なので、ながら運転など、もっての外なのであり、人間の処理能力を超えてしまっているのだが、何となく出来てしまうので、それに気付かない。
酔い「ながら」運転は、事故が起こるまで、それをしている本人にとって、悪いことと思い知らされることがない。事故が起きてしまってからでは遅いのだが、順番的にそうなってしまっている。
飲酒運転が酔い「ながら」運転であれば、毎日酒を飲む人生は、酔い「ながら」人生ではないか。
飲んだくれは、酒に酔い「ながら」生きる人生を生きている。本来、人生とは、自分に与えられた一生を、生き抜くことだ。
飲んだくれの人生は、酔い「ながら」人生であれば、そこに真剣さは見られない。頭の中のお花畑に蝶が飛ぶ毎日は、傍から見れば単なるアル中である。
車の運転時にさえ、酒に酔い「ながら」であれば、自分や他人の一生を左右するような重大事故を起こす危険性がかなり高い。況してや、人生に於いてをや!
人間を人間たらしめている脳に、過剰な飲酒によって大量に薬物アルコールを流し込むとどうなるのか。
私の場合、自分に与えられた人生の残り時間が、残り少なくなって来た。酒なんぞ飲んで酔っ払っている場合ではない。
今朝2:46頃、東北地方で地震があった。早起きの私は、ラジオでそれを知った。東京だっていつ地震に襲われるかわからない。
酔い「ながら」人生では、もしもの時に機敏に判断し行動することが出来ない。
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