22時41分ごろ、かなり揺れた。
震源地は千葉県北西部で、最大深度は埼玉と東京23区で震度5強を観測したそうだ。
私の居住地は、震度3と報道されているが、震度4くらいに感じた。
割と激しい揺れと共に、マンションの建物が軋む音がして、恐ろしかった。
全くの素面なので、揺れ始めからすぐに分かり、揺れている最中も色々と考えた。
この時間、以前の飲んだくれの頃であれば、飲み過ぎてすっかり出来上がり(即ち泥酔して)所構わずにごろんと横になっていたことだろう。
果たしてヨッパライは、地震に気付くのだろうか。
人生、いつ何時、いざと言う時がやって来るのか分からない。真夜中かもしれないし、早朝かも知れない。覚醒している時とは限らず、熟睡している時かもしれない。
いざと言う時そのものは、人の都合などお構いなしで、突如として目の前に現れる。全くの不意打ちに、いざと言う時がやって来て、普通の人は慌てふためくが、ヨッパライは、そもそも気付かない😱
いざと言う時は、地震だけに限らない。天変地異のこともあれば、道を歩いている時に巻き込まれる交通事故や、ふと気付いたら真夜中に強盗に遭遇するかもしれない。
いざと言う時の心身の状態だが、その困難な状況の中でどのように振舞えるかは、素面か泥酔かで、全く異なるはずだ。
素面なら、即座に的確に自分の置かれている状況を分析し、どうすれば最善なのか、判断し、行動に移ることが出来る。
泥酔なら、そもそも今自分に危機が迫っていることにすら気付かないので、その危険な事象の中で、ただ被害が身に及ぶのを待つだけである。
今日も明日もその先の未来も、ずっとずぅ~っと、平穏無事な時間が流れると確定しているなら、泥酔状態で過ごす時間があっても、大丈夫かもしれない。
これは、一度も死んだことが無いのだから、これからも死なないだろうと漠然と思っているのと同じだ。
これまで何も無かったのだから、これからも大丈夫!と、勝手に思っているだけなのが、飲んだくれ人間の悲しい性だ。
人生には、三つの坂がある。上り坂、下り坂、そして、まさか。と良く言われるが、三つ目の「まさか」が、正に、いざと言う時である。
まさか!の時に、酒に酔っていたら、冷静に対応し、的確に対処出来るだろうか。アルコールが脳に回った状態で、まさか!の事態に対処することは不可能である。
先ほどの揺れで、断酒していることの素晴らしさ、安心感をとても強く感じた。
ただ酒を飲まない生活。シンプルだが、最高であり、最強である。
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