雨で始まった朝は、妙に生暖かく、師走に入ったことに違和感を覚えるほど。
ずっと乾燥していた空気が一気に湿って、呼吸はとても楽だった。
雨が去ると、いきなり太陽が顔を出して、気温がぐんぐん上がり、20℃近くになった。12月なのに⁉
さて、ネットニュースを閲覧していたら、どこやらの鼻出しマスク市議のことが、報道されていた。
辞職勧告決議まで受けているのに、今度は、マスクを着けずに議会に出席したそうだ。
この手の人を、依怙地(意固地)と言う。
依怙地とは。
意地を張って詰まらぬことに頑固なこと。頑なに意地を張ること。
依怙地な人の行動パターンは決まっている。他の人がどう思おうと、常識がどうであろうと、頑なに自分の基準でしか動かない。依怙地な人は、傍から見ていて、とても不愉快極まりない。
改めるべきことを誰かに指摘されたら、素直にすぐに改めてしまえば、それで済むのに、と思う。
依怙地の始めは、ほんの些細な事。自分が当たり前にしていたことを、誰かに注意され、そこですぐに改めていれば良かったものを、意地を張って自分を正当化し、頑なになる。
すると・・・
最早出した手を引っ込めることが出来ず、後戻りすることは己の依怙地な心が許さず、多くの良識ある人を敵に回して、そのままの振る舞いを続けねばならなくなる。
と、書いてはみたものの、私も実は筋金入りの依怙地人間である。誰かに何かを指摘され諭されるのが大嫌い。自分で決めたこと、良かれと思っていることを改めることには、かなりの抵抗を覚える。
以前にもこの話題については、書いていた。
「過ちては改むるに憚ること勿れ」
断酒に関わらず、自分の過ちに気付いていながら、それを改めることに憚っていることが多々ある。その根本に、依怙地があるのではないだろうか。
意地を張って詰まらぬことに頑固になり、頑なに意地を張る。
依怙地をあっさりと捨てて、素直になれば、身も心も軽くなり、新しい生き方が見えて来る。
冒頭の市議にこそ、依怙地を捨てよとアドバイスを送りたいものだ。
断酒にしても、意地を張って詰まらぬこと(飲酒)に頑固になっている自分がいると、中々に難しい。素直に断酒の良さを認め、飲酒のバカバカしさを認め、新しい生き方を謳歌するのがよろしい。
年を取れば取るほど、人は依怙地になって行くのかもしれない。
子供のころの素直な気持ちを取り戻し、もっと柔軟にしなやかに生きて行きたいものだ。
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