一日、気温も湿度も低く、カラッとした冬晴れだった。
早起きなので、晴れる日の早朝、東の空の、日の出前の燃えるような朝焼けにいつも感動している。
前の晩にしこたま酒を飲んだ人は、朝焼けに遭遇することはないだろうし、また、その時間に起きていても、飲み過ぎた酒で苦しくて、東の空など見ないだろう。
そんなことを思っていると、地域の仲間のLINEで、我が家の近所の居酒屋前でヨッパライの喧嘩があったことを知った。
営業自粛要請が終わり、活気が戻って来た居酒屋。
我が家の近所に、何軒もあり、地域のヨッパライが日々集っている。私には全く用がないので、通り過ぎているだけだが。
ヨッパライ同士の喧嘩騒ぎがあったのは、我が家から目と鼻の先の、外にもテーブルが置いてある居酒屋。連日、ガラの悪い連中が明るいうちから酒を飲んでいる。
目撃した仲間によると、その喧嘩は、1対1ではなくて、3対3くらいだったそうだ。何がきっかけになったのか知らないが、いきなり殴り合いが始まって、大声で騒ぎ、短い時間で終わり、最後には仲良くなって、また酒を飲んでいたとか。
結果良ければ全て良しと言うけれど、このヨッパライの喧嘩も、結果的には仲直り出来て良かったのかな。
私はこの喧嘩の話を聞いて、矢張りヨッパライはバカに過ぎないなと思った。
どんなに思慮分別のある人でも、どんなに温厚な人でも、どんなに博学で人間的に優れた人でも、酒をたくさん飲んでヨッパライになると、単なるバカになってしまう。
アルコールが脳を乗っ取り、本来のその人の人格を奪ってしまう。それでヨッパライは、一律にバカなのだ。
日頃、真面目に生きているので、たまにはバカになりたくて酒を飲む人もいるようだ。分らぬでもないが、何も薬物アルコールの力を借りてバカにならなくても良さそうなものだが、どうだろうか。
酔っ払って誰かと喧嘩して、翌日にその詳細をきっちりと思い出せる人がいるだろうか。薄らぼんやりと覚えているかもしれないが。
酔っ払ってバカになって、何が嬉しいのだろう。
今の私は、酒で酔っ払うことに対しては、恐怖を感ずる。
人間、一日を生きる毎に何かを学び、それが積み重なって、人生の奥深さを知り、生活にもそれが活かされる。
何十年の月日を重ねて今の自分になったのに、アルコ―ルに脳を乗っ取られて、自分が消失している間に何か問題を起こせば、一瞬にして生き地獄に堕ちる。
「酔っていて覚えていない」は、生き地獄のスタートラインだ。
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