いつの頃からか、段々と日々の日記と化して来ているこのブログ。
断酒断酒と力んでいた頃からすると、私の断酒も堂に入って来たのかな。
昨日ほどではないが、今日も晴れて暑くなった。
昨年は6月1日に、妻と鎌倉の明月院へ紫陽花を観賞に行った。今年は今のところ、予定はしていないが、行きたいねぇ~、との話にはなっている。
ちょいと予定してみようかな~。
鎌倉の紫陽花では、寅さんの映画に出て来た成就院が有名で、2年前に訪れてみたが、紫陽花は刈られてしまったのか、咲いていなかった。
その時は、コロナ禍で人が集まらないようにわざと咲かせていないのかと思っていたが、調べてみたら、2015年から2017年まで行われた参道の改修工事の際に、東日本大震災の被災地の宮城県南三陸町へと、殆どの紫陽花の株が寄贈・移植されたのだそうだ。
成就院の紫陽花が、今は宮城県南三陸町で咲いている。それも見に行きたいな~。
冒頭で、自分の断酒が堂に入って来たのかもと書いたが、別の表現をするならば、私の断酒は枯れて来たような気がする。
断酒に対する心境の変化は、断酒10年目にして著しく、断酒がらみの色んなことに対して、積極性が失せた。
あれほど盛んに開催していたオフ会も、何だか面倒になって来た。一時は、断酒の快適さを、ブログだけでなく、メルマガやらその他の手段で多くの人を巻き込んで伝えたりしたこともあったが、そのようなことにも興味が失せた。
年のせいもあるけれど、私の断酒は枯れて来たのだろう。今の心境的には、断酒断酒と騒がずに、ひっそりと一人だけで酒無しの生活を満喫出来れば良いかな。
飛行機に例えるならば、今の私は水平飛行に入ったところかもしれない。旅客機に乗ったことのある方はご存じだと思うが、水平飛行に入るとシートベルトのサインが消える。
断酒は、飲んだくれ界からの離陸に物凄いエネルギーが必要で、離陸後ぐんぐん加速して飲んだくれ界が見えなくなるまで上空へと舞い上がる必要がある。それには3年くらいかかるのかな。
そしてやっと水平飛行に入ると、断酒の快適さは自分のものになっている。
断酒を木に例えるならば、断酒の種を蒔いて芽が出るところまでと、そこへ水や肥料を与えて大きく成長させるところまでは大変。だけれど、大地に根をしっかりと張って、堂々とした断酒の大木に成長すれば、後は楽だ。更にその大木が枯れて来ると、最早断酒も堂に入るのかも。
たぶんこのブログも、来年の3月14日の10年満期で終わりかな~。今はそんな気がしている。
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