朝8時前ごろ、我が家の足である最寄りの鉄道が、車両事故で全線STOPした。
飛来物が電車のパンタグラフと複数の架線を損傷し、自走出来なくなったのだそうだ。
通常、人身事故などは2時間くらいで対応が終わるのだが、今日電車が動き出したのは、午後2時半頃だった。
そこへ追い打ちをかけるように、衝撃的なニュースが飛び込んで来た。元総理大臣が、凶弾に倒れた。何と卑劣な犯行であろうか。
そして夕方、元総理大臣がお亡くなりになったとの報道が・・・長らく政権を担われていた方なので、親しみがあった。ご冥福をお祈りする。
今日一日、いろいろな出来事が起こり、人生について深く考えさせられた。飲酒して酔っぱらっている状態の頭に、これらの情報が入ったところで、反応するだろうか。
人生いつ何が起こるか分からない。酒など飲んで酔っ払っている場合ではない。
繰り返すけれども、本当にいつ何が起こるか分からないのが人生であれば、今を一所懸命に生きるのが最善ではないだろうか。
今を一所懸命に生きるためには、飲酒からは離れている必要がある。酒を飲んで酔っ払った状態は、誰がどう見ても、自分で考えて見ても、一所懸命に生きていることにはならない。
酒を飲んでアルコールが体中を駆け巡り、人間を人間足らしめている一番大事な脳が侵されてしまうと、もはや今をすら認識出来なくなる。それがアル中だ。兎に角、酒・酒・酒、酒さえあれば良い人生になってしまう。
明日のことは誰にも分らないけれども、酒を飲んで酔っ払った状態で迎える明日と、酒なしのクリアな頭で迎える明日とでは、その過ごし方に於いて、雲泥の差が現れることだろう。
昨夜しこたま酒を飲んで、二日酔いで迎える今日は、果たして一所懸命に生きられるだろうか。一所懸命に吐き気と戦い、一所懸命に酒を呪うことしか出来ないのではないか。
今を一所懸命に生きることを心に誓い、もし酒を飲んでいるならば、これをきっぱりと断ち切ることだ。
人生、人それぞれに与えられた時間は違う。それをご存じなのは、時空を超えた存在の神おひとりだと、最近感じるようになって来た。
明日どころか、今から1秒後でさえ分からない自分であれば、たった今、この瞬間を素面で生きることが精いっぱい。これは禅の、今・ここ・自分に通ずる。
このことは、以前にも書いた。
今を一所懸命に生きるとは、今・ここ・自分を意識して生きること。
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