熊本、大分では、地震により、大規模な災害が起きている。
まだまだ、地震は続いており、被災した方々は不安な夜を避難所で過ごしておられる。地震が収束し、平穏な日常が訪れることを、また、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げる。
今日が平穏な一日かどうかは、誰にも分からない。以前も何度か書いたことだが、また書いてみる。
2015/3/11『大震災を思い出して(断酒1年362日目)』
2015/9/10『いざという時のために(断酒2年180日目)』
実際、天災は、いつどこで発生するか分からない。予測が出来ないから、避けようがない。
例えば真夜中、いきなりの地震に襲われたとする。その時に、泥酔状態だったとしたら、その緊迫した状況を認識できない。的確な行動で助かるかもしれないのに、ただ酔い潰れて、いつの間にか死んでいた、と言うことになるかもしれない。
家族がいて、自分が大黒柱だったとしたら、家族に避難の指示を出し、災害の被害を最小限にして、その先の生活を考える。
でも、自分がその時飲んだくれて、既に出来上がっていたら、家族の避難の足手まといになるだけだ。その事を想像してみたが、なんとも情けないし、いざと言う時に自分が何の役にも立たない状態が、恐ろしい。
酒から離れて暮らすのは、いつ何時でも、その状況を的確に把握し、率先して動くことが出来ると言う点で、まことに理に適ったことだと思う。
私は、飲んだくれて泥酔していた時代に、たまたま運良く天災や強盗に遭遇しなかっただけである。これから先、いつどこで何があるか分からない。もしかしたら、なす術もなく命を落とすかもしれない。
けれども、もしかして助かる見込みがある時に、素面でいるのと、泥酔状態でいるのとを比べてみたら、もちろん、素面のほうが良いに決まっている。
酒を飲まなければ、飲酒運転をすることもない、痴漢などの破廉恥な犯罪で捕まることもない、誰かを知らずに傷つけることもない、酔っ払って喧嘩することもない、更には、突発的に起こる天災などにも、的確に対処できる。
『飲むよりは 飲まぬを選ぶ 人生は いつ何時も 準備万端』
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