良く晴れて、風の強い日だった。
半袖では寒く、長袖にすると少し暑いような微妙な感じは、風があるからだった。
私の行動する範囲にある大型の商業施設は、食品などの日用品を扱う所を除いて、まだ開いていない。書店さえ、自主的に自粛しているのには閉口した。
本も買えない。図書館もコロナの影響で臨時休館しているので、読むものが無くなって来た。
書店のネット販売のサイトに注文した本は、確保済みにはなっているが、中々来ないので、問い合わせたら、コロナの影響で自宅勤務になっている社員が多く、少人数で対応しているので、発送がいつになるか分からないそうだ。
明確な出口の条件設定のないまま延長された、緊急事態宣言の期間。
いつまでこの閉塞感の中で、自粛を続けなければならないのだろうか。
今年は、言葉としての「自粛」がかなり幅を利かせている。
新型コロナウィルスを蔓延させないように、あらゆる活動を自粛せざるを得ないことは確かである。
自粛とは、自分から進んで態度や行動を慎むこと。
例えば飲酒を自粛すると言った場合、酒を飲まないわけだが、断酒ではない。
もはや私には全く不要の酒ではあるが、断酒括りでブログを書き続ける上で、一日に一つは酒について思いを巡らす。
私の断酒とは、自分から進んで酒を断ったわけで、飲酒を自粛しているわけではない。
自粛には、それを解く日が来る。自粛明けだ。ちょうど夜が明けるように、それまでの自粛生活から解放される。
断酒には明けは無い。断酒が明けてしまったら、断酒ではない。断酒が明けたら飲酒になるわけで、強いて言えば、断酒明けとはスリップになるのかもしれない。
表面上断酒に見えても、中身は飲酒の自粛に過ぎない人がいる。
自分が何故酒を断たねばならぬのか、理解していない人だ。
周囲(家族、医者、その他)に言われて仕方なく酒を飲まない人。
自粛自粛と言われ、不要不急の外出も自粛の中に入っており、家にいることが良いことになっている。
人間の行動をここまで変えてしまった新型コロナウィルスに脅威を感じる。恐るべき力を持っている。
今のコロナによる自粛は、明けた時、爆発的な人の動きにつながると思う。鬱屈したエネルギーが蓄えられすぎて、自粛を解かれた時、一瞬にして爆発するような気がする。
飲酒の自粛も同じで、それまで飲みたさを堪えて飲まずにいた、飲みたい気持ちの積み重ねが、爆発的な飲酒のパワーに転化することだろう。
なので、酒を断つなら、断酒が一番なのだ。断酒に明けは無い。
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