午前中、電車に乗るために駅へ向かった。
ふと尿意を催し、駅に隣接する公衆トイレへ。
小用の便器は二つしかない、狭い空間だ。その手前に、洗面台が二つ。
そこを通り抜けねばならないが、70代と思しき爺様が、洗面台の縁に両手を突っ張って、下を見ていた。
こざっぱりとした格好で、見た目はどこにでもいる爺様だが・・・
ん~。怪しい・・・
更に、アルコールの悪臭が漂う。
横を気にしながら、用を足していると、いきなり、
「うぅ、うげぃぇーーー!おぉえぇぇーーー!げほ。。。」
(わ!わ!勘弁してくれぇ!)
そそくさと私は、ゲロ中の爺様の後ろを、なるたけ素早く通り過ぎ、外へ出た。
あんな爺様になっても、きっと前夜飲み過ぎて、二日酔いだったのだろう。私は電車の中でそんなことを考えた。
酒を飲み続ける人生であれば、身体の諸機能は加齢と伴に衰えて行くが、飲酒欲求は衰えることはない。若い頃からの飲酒習慣は、年齢に関係なく続いて行く。
老人になれば飲酒量も減ると言う話は聞いたことがあるけれど、肝臓も機能低下しているから、摂取するアルコール量が減っても、悪酔いすることに変わりはないだろう。
今朝のゲロ爺さんを見て、同じくらいの年齢に達した自分を想像した。
鏡に映る、自分の年老いてしわっちゃくれた顔。
自分は結局こんな爺様になっても酒を飲み続けているのか。
あの時、断酒していれば、また違った老い方もあったのではないか。
7年前のあの日に酒を断っていなければ、今の自分は存在せず、生きていないか、離婚してどこかで一人飲んだくれる生活をしていたかもしれない。
飲んだくれのままだったら、たぶん、家族と一緒ではないと思う。
老いて、ジジィになって行く自分。酒が唯一の友の自分。人生を振り返っても、飲酒しか思い出せない自分。酒だけの人生だった自分。
想像するだけで、恐ろしい。
たまにこのブログに書いているけれど、そんなようなアル中の爺様が数人、私の利用する最寄り駅に、ほぼ毎日の午前中集まって酒盛りをしている。
座って飲んでいる姿は健康そうだが、歩く姿はヨボヨボである。杖を突いて、ヨレヨレと歩いている。
笑うと、歯が殆どない。顔はどす黒く、痩せている。年齢は良く分からないが、70代後半から80代前半くらいか。もっと若いのかもしれない。
今朝公衆トイレでゲロしていた爺様は、この酒盛り常連の爺様とは別の人だった。
私がたまに野菜を買いに行く農家のお爺さんは、酒を飲む人だが、決めた量以上には絶対に飲まないそうだ。この話も以前書いたけれど、良い話なので、また書いてみる。
その人は、夕食の時に、焼酎のお湯割りを一杯飲むのが楽しみなのだそうで、その一杯だけで満足だと言っていた。
問題の多い飲んだくれは、どんな酒にだって、たったの一杯では満足しない。なので、断酒しかないわけだが、それが分からない。
『飲み続け ゲロ吐く老後 オゾマシイ😱 断酒して老い 枯れてあの世へ』
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