昨夜から今朝方にかけて、我が家の近所で、酔っ払いが騒いでいた。
酔っぱらい共は、コロナ自粛が徐々に緩和されてから、夏の虫のように、湧いてきた。
酔っ払いだけでなく、閉鎖されていた喫煙所が、元の通りになって、そこへと、どこからともなくヤニカスが集まり、プカプカと紫煙を漂わせている。悪臭が周囲に漏れて、ほとほと迷惑である。
酔っ払いとヤニカスは、アルコールとニコチンの違いはあれども、薬物中毒者である。
私もかつては、酔っ払いでヤニカスだった。アルコールとニコチン両方の薬物中毒だったが、先ずはニコチンを切り、次いでアルコールを切った。
薬物から解放され、禁煙人&断酒人となったわけだ。
さて、断酒人の私は、今年の元旦に、大晦日までに聖書を通読することを目標にした。毎日少しずつ読めば、何とかなるだろうと。
老眼に鞭打って(⁈)がむしゃらにシャカリキに読み進めたら、大晦日を待たずに、その目標を達成した。今は、二度目の通読に挑んでいる。
これも断酒パワーだろう。
そんなわけで、今の私は、聖書の神様を信じているけれど、若い頃から仏教、中でも禅宗に興味があり、色々と本を読んできた。
一口に禅宗と言っても、我が国には、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗の三宗派がある。
まあ、この辺りは置いておき、私の好きな禅僧の一人、至道無難(しどう むなん)禅師。江戸時代初期の臨済宗の僧侶だ。
この人の歌の中で、私が一番好きなのが、これ。
「生きながら 死人となりて なりはてて 思いのままに するわざぞよき」
この歌の意味は深く、私などには中々に解説が難しいので、興味ある方は、ググって調べてみてほしい。
私がこの歌を翻案し、断酒に当ててみたのがこれ。断酒人は、だんしゅびと、と読む。
「飲みたくも 断酒人にぞ なりすまし 酒など忘れ 生きるのがよし」
(のみたくも だんしゅびとにぞ なりすまし さけなどわすれ いきるのがよし)
なりすます、とは、実際にはそうでないのに、そうなったふりをしおおせることだ。つまり、断酒人ではないのに、断酒人になったふりをしおおせるのだ。
なったふりをしている内に、本当に、断酒人になる。これは、私がそうだったので、確信を持って言える。
禅絡みで、過去に二つほど記事を書いているので、読んで頂きたい。私が今読み返しても、中々に良いことが書いてある😉
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