昨日までは一日雨の予報だったが、曇天から、午後には晴れ間も見えた。
年齢を重ねると、時間の流れがとても速くなるような気がする。
朝起きたかと思うと、あっと言う間に昼になり、そして夕方になり、夕食後うたた寝などしていると、ブログを書く時間も無くなる。
最近は、かみさんに起こされて、眠い目をこすりながら、パソコンに向かい、キーボードを叩く日が多くなった。
いやいやしかし、我ながら、よくもまあ毎日書いているな・・・
私にとってはもう、この断酒ブログは、自らの断酒継続の手段ではない。
ブログを書かずとも、酒を飲むことはない。
ならば、何故に毎日更新を続けるのか?
世の為、人の為、などとエラそうなことを言うつもりは毛頭ない。
ただ、意地で書いているだけだ。
断酒当初(7年前の3月下旬ごろ)に立てた目標の、
『酒を飲まなかった日はブログを更新し、飲んだらブログ終了する』
を意地で守り続けているだけなのである。
酒なんぞ飲んでたら、日々継続出来ることは、飲酒に過ぎないだろう。が、酒を断てば、1000字の文章を毎日書き続けることが出来るのだ、と、過去の飲んだくれの自分に見せ付けてやっているのだ。
私は、五十路に入った頃に突然酒を断って、それが功を奏して、たぶん飲んだくれたままに比べたら、相当に死期が後へずれたと思う。
酒で死期を早めるバカ者だった自分が、酒を断って死期を遅らせる利口者になったってわけだ。
私の言う死期とは、この命が終わる時ばかりを言うのではない。
社会的命が終わることも、含まれている。
社会的命とは、家族と共に暮らす命、職場で働く命、地域で暮らす命、何れも何気ない日常である。
ところが・・・
飲酒運転で誰かを撥ねて、殺してしまった。
泥酔して、痴漢をしてしまった。
酔った上で喧嘩をして、相手に重傷を負わせた。
酒を飲んで酔っ払って、このような事態に陥ってしまったらどうだろう・・・
その一瞬で、これまでに築いてきた社会的信用や地位は失われ、家族からの信頼も地に落ちる。これは即ち、社会的な死を意味する。
身体がどんなに健康で、病気一つなくたって、次の日からは、精神的に死の状態である。生きていることが、苦痛になるわけだ。
酒を断つだけで、酒に酔うことはなくなるわけで、バカバカしい酒酔いによる失態を防ぐことが出来る。
そこの、あなた!
酒なんぞ飲んで、死期を早めてどうする?
酒で死期を早めるバカにならないようにネ!
酒なんぞは断って、人生を目いっぱい精一杯生きてやろうではないか。
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