梅雨の晴れ間の一日だった。
電車では、乗車している人の多さに驚いた。学校が再開したので、中学生や高校生の姿もあった。
乗車率的には、コロナ前と変わらない。コロナ前と明からに違うのは、乗っている人のほぼ全員が、マスクを着用していること。
当たり前の光景に驚くのは、異常なことだ。電車がガラガラだった今までが異常だったのに、それが普通のことだと脳が錯覚しているからだろう。
酒についても、全く同じことが言える。
毒物の酒(アルコール)を飲むことは、異常なことなのだが、商品として売られており、かつ子供の頃からの飲酒礼賛の洗脳によって、自分も飲むようになり、普通のことだと脳が錯覚している。
なので、酒に問題を感じて断酒を選択した時、酒を飲まないことが異常なことと思い込んでいる脳は、強烈な違和感を覚えるのだ。
酒を飲みたくてたまらない。飲まないことは異常なことだ。かつてあれだけ好きなだけ毎日酒を飲んでいたではないか、と脳が訴えるのだ。
ここをどう乗り越えて、飲まないアル中になるか。
断酒する各人が、自分を分析して、自分に合った断酒の方法を工夫して、飲まない日常を獲得するのが、ベストだ。
そして、数年後。
飲まないアル中として、酒を飲まない日々が当たり前になると、飲まないアル中の目線で世の中を見ることが出来るようになる。
3年前に、飲まないアル中の視点と言うことで、ブログを書いている。
視点と目線。似たようなものだが、少し違う。
今日も、飲酒絡みの事件の報道が多かった。
一々取り上げたり、リンクしたりしないが、そのひとつひとつに向けた私の目線は、とても冷めていた。
人の行動を狂わせることが予め分かっている毒物アルコールが主成分の酒を、合法だからと言って、飲むこと自体が、常識からかけ離れている。
車絡みの事件では、飲酒運転と、タクシーの客としての酔っ払いと、泥酔して道路に横たわり轢かれてしまうケースが殆どだ。
飲んで酔っ払っている時に、アルコールの薬物効果によって快感を覚え、脳内が天国の状態を堪能する。
だが、脳内は天国のまま、一気に奈落の底も底の、地獄へ真っ逆さまに堕ちて、ハタと気付けば、現実世界は地獄の様相を呈しているのだ。
飲まないアル中の目線で世の中のアルコール事情を観察すると、その異常性がとても良く見える。
酒なんぞ二度と飲んではならない。
酒なんぞに一生を左右されてたまるものか。
そう強く思うのだ。
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐには反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>
(まことに勝手ながら、コメント内容によっては、承認の前に、削除することもあります)