いつの間にかめっきりと秋らしくなった。
朝晩だけではなくて、昼間も涼しかった。
秋は収穫の季節と言われている。
昨日歩いた秩父路のあちこちで、たわわに実った稲穂を見かけた。
田んぼを見ると郷愁に駆られる。私が育った田舎では、目の前に田んぼが沢山あって、秋になると一面黄金色に輝いていた。
稲だけではなくて、りんご、梨、ぶどう、柿・・・その他の果物も、収穫の時期を迎えて、いよいよ秋は深まる。
酒を断って、秋の夜長を迎えると、誰しも人生について考えるようになるのではないか。
人間には寿命がある。
生れ落ち、成長し、老い、やがて死ぬ。
老いる前に、病気や事故で死んでしまうこともあるけれど。
命は自分のものではなくて、天から、神様から与えられたもの。
それを証拠に、自分で縮めることは出来ても、延ばすこと(延命)は不可能である。
このような考察をしてみると、飲酒して酔うことは、全くもって貴重な命の浪費ではないか。
酔っている時間は、人生が停止している。
酔っている時間を、生きているとは言わない。
脳に薬物が回っている状態では、人は自分の人生を生きてはいない。
例えば同じ80年を生きるとして、酒を全く飲まない人や、断酒した人に比べたら、飲んだくれの酔っ払いは、酔っている分、人生が短い。
逆に言うならば、酒を断つと、生きる時間が確実に長くなる。
酒をやめたばかりの人が良く口にする言葉に、
「夜、酒を飲まなくなって出来た時間を、どうすごせばいいのかわからない」
と言うのがある。
これぞ、生きる時間が長くなった証拠ではないか。毎晩、酒を飲みながら仮死状態に陥っていたのだから。
そうだ、酒を飲んで酔っている状態は、一種の仮死状態である。酔っているのは、私であって私ではない。あなたであって、あなたではない。
仮死状態の人は、死んだように見えるが、適切な蘇生処置によって、生き返る。同じように、泥酔状態の人も、死んだように見えるが、酒が抜けると、生き返るわけだ。
酒を断つだけで、人生が長くなるなんて、何と素晴らしいことだろうか。
先ほど、命は自分で縮めることは出来ても、延ばすことは不可能だと書いたが、断酒によって、自分として生きる時間を長くすることは出来るのだ。
こう考えてみると、酒なんぞ飲んで仮死状態になっている場合ではないことが良くわかる。
断酒して、生きる時間を長くしようぜ!
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