当初は雨の予報だったが、曇りの予報に変わり、結果的にはほぼ晴れた。
肌寒いが、太陽が顔を出すと、日差しが割と強くて、暑さも感じた。
日曜日は、大体かみさんと近隣の大型スーパーへ出かける。
居住地から数駅先にあり、駅から割と遠いのだが、運動がてら出かける。
歩きながら、夫婦で会話が弾む。広いスーパーの店内では、色んな食材を吟味しながら、あれにしよう、これにしようと、話し合う。
昔飲んだくれていた頃は、ここまで夫婦の会話が無かったような気がする。酔っぱらって、私が一方的に喋りまくっていたようだ。
キャッチボールに例えるなら、ボールをどんどん私が投げ続けているだけ。かみさんはボールを受け取るだけで、投げ返すことが出来ない。ヨッパライ相手では、言葉のキャッチボールが成立しないから。
かみさんだけでなく、子供たちにしてみても、同様で、酔っ払った父親とは、会話が成立しない。
このように、酒飲みの酔っ払いのアル中がいる家庭は、決して明るくはなく、寧ろどんよりと薄暗いのだ。たった一人のアル中の存在が、家族を闇の底に沈ませてしまう。
酒飲みは、飲めば飲むほど、深くて暗い闇に向かっている。自らを、暗くて陰湿な世界へと追いやっている。
以前、アルコール依存症関連のウェブサイトをいくつも訪問して、学んでいたときに、次のようなフレーズに出会ったことがある。
『地獄を見たければ、アルコール依存症者のいる家庭を見よ』
これは、正にその通りかもしれない。家庭内に一人アル中がいるだけで、その家から光は失われ、闇に支配されるようになる。
アル中になった人のそもそもの最初は、たったコップ1杯のビールから始まったのではないか。飲酒がどんどんエスカレートして、ついには闇に支配されてしまった。
このアル中の闇から脱出し、ひと筋の光明を見出すには、酒を断つ以外に方法は無い。このことを、今日のタイトル『光に向かう断酒、闇に向かう飲酒』に込めてみた。
自分の人生なのだ。
明るい方へ進みたいのか、暗闇に進みたいのか。
それによって、酒を断つのか、飲み続けるのか、これを決めねばならぬ。
誰しも、光に向かいたいはずで、闇に沈んで行く人生など望みはしないだろう。
だが、酒の魔力は恐ろしく、一度憑りつかれてしまうと、なかなか振り払うことが難しい。
断酒で光に向かうのか、飲酒で闇に向かうのか。
人間に与えられた貴重な人生の時間は、とてもとても短いので、よくよく考えてほしい。
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