雲一つない秋晴れの、爽やかな一日だった。
我が家の若者たちは、朝からどこへやら出掛けてしまった。
私は、冷蔵庫の野菜室が淋しくなっているので、自転車で野菜を買いに、いつものルートへ。
夏にいくらでも出ていたキュウリやナスは姿を消し、秋の野菜が並んでいる。小松菜、大根菜、ほうれん草、長ネギ、里芋、サツマイモなど買って来た。
8時ごろ出発し、10時ごろ帰って来たのだが、たった2時間ではあったが、とても清々しい時を過ごした。空気も澄んでいた。
これとは正反対の、数日前に見たおどろおどろしい光景を、帰宅後思い出して、かみさんに話した。
平日の夕方、16時ごろだったが、近所を歩いていると、複数の人が大声で騒いでいた。
何事だろうと、音源に近付いてみたら・・・居酒屋のテラス席で、60代くらいのグループが、この時間で既に酔っ払って、ドタバタと騒いでいるのだ。内訳は男性5人くらい、女性1人。
あぁ~見苦しい。。。_| ̄|○
ヨッパライは、年齢を重ねるほどに見苦しい。私はこれを、加齢なるヨッパライと名付けた。華麗なる、ではなくて、加齢なる、である。
本来であれば、分別ある年齢に達し、その行いも、重ねた年齢に応じて重みがあるはずなのに、酔っ払って大声で騒いでいる。呂律が回っていない。
あぁ~何と見苦しいことだろうか。
この事に、酔っ払っている本人たちは全く気付いていない。加齢なるヨッパライたち。滑稽であり悲惨である。
飲んべーは、その人生に於いて、遅くとも50歳くらいで、酒から離れたほうが良い。これは私の持論で、ずっと主張していることだ。
私でさえ酒を断つのが遅すぎて、五十路に入ってからの断酒だが、それでも、あのまま飲み続けていたら、加齢なるヨッパライの仲間になっていたことだろう。
あの時酒を断ち、今や酒無しの世界で華麗(⁈)に生きることが出来ている。加齢によって、身体は衰えるとも、断酒によって華麗(⁈)に生きることが出来ている。
老齢に達している人が酔っ払っている姿は、はっきり言って、見苦しく、醜い。醜悪である。
爺さん婆さんになってからの断酒は、ほぼ不可能なのかもしれない。
「ほぼ」と言うのは、人間幾つになっても挑戦は可能だからである。
加齢なるヨッパライが飲む酒を、加齢酒(かれいしゅ)と名付けよう。
加齢酒で、語呂が似ている加齢臭(かれいしゅう)を思い出したが、酒とは無関係に、おっさんになると加齢臭が漂う。。。_| ̄|○
せめて、酒臭さくらいは断酒で取り除きたいものだ。
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