寒風吹きすさぶ夕方、かみさんに頼まれて買い物に出た。
駅の近くのアル中の溜まり場に、爺様とまだ30代くらいの2人のアル中が、ストロング缶で盛り上がっていた。
爺様はよく見かける、歯なしフガフガ。30代くらいの男性は、初見参か。
遠目に見れば二人とも、丸で哲学論議でもしているような表情だが、近寄ってみれば、なぁーんだ、単なるアル中が2人、ラリってるだけだ。
不良共は徒党を組まないと悪さが出来ない。アル中は、アルコールが入らないと、エンジンが掛からない。そんなことを感じた。
真面な人は、素面の自分が本当の自分で、酒に酔った状態の自分はヨッパライだが、アル中は、酒に酔っている状態が本当の自分である。逆転している。
アルコールが切れると、自分ではなくなってしまうのが、アル中なのだ。
それにしても、家の中にいても寒いくらいの日に、わざわざ外で、しかも飲んでいる酒は、コスパ最高のストロング系のロング缶だ。
夏でも冬でもアル中は、自分を自分たらしめるために、薬物アルコールを必要としているのだ。
悲しく哀れであり、遣る瀬無い。
かつて、私自身も飲まずにゃおれぬアル中であり、夏でも冬でも薬物アルコールを摂取するために、毎日せっせと酒を飲んでいた。
酒の魔力は、飲む人を捉え、飲まずにゃおれぬようにしてしまう。毎日毎日、それが高じて二六時中、体内にアルコールが回っていることが、日常になって行く。立派な一人前の(⁈)アル中の一丁上がり!である。
私は今日の、冬空の下で酒を飲むアル中を見て、アル中の性(さが)の悲哀を感じた。どんな状況下であっても、最優先は飲酒なのだ。
ここに至ると、酒を断つ考えなどあるわけもなく、飲むことが日常であり、飲み続けるための努力を惜しまないことだろう。
私は、心底酒を断って良かったと思う。
酒に囚われ、一生酒とともに歩み、酒で終わる人生など、反吐が出る。
酒にまみれて死んでゆく自分を想像してみれば、そのおぞましさが分かろうと言うもの。
私が現にアル中であることは間違いないし、そのことは認めているが、アル中はアル中でも、酒を飲まないアル中であることに誇りを持っている。
一滴でも酒を飲めば、元の単なる飲んだくれのアル中に戻ってしまうわけで、それを十分に認識しつつ、酒なんぞを飲まないアル中でいるわけで。
アル中の性の悲哀を、分かる人と、分からない人がいると思うが、あなたは分かるだろうか。
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