元旦からずっと、良い天気。
今日は家族でステイホーム。
夕方、私だけ用があって、ほんの数時間外出した。
都会のターミナル駅まで出かけたが、とても多くの人が歩いていた。不要不急の外出をしている人ばかりのようだ。
昨年の4月に緊急事態宣言が発令された頃、電車に乗る人も、街を歩く人も、その数が目に見えて減ったものだったが、昨今はもうコロナ慣れしてしまったのだろう。
新型コロナウィルス感染症は、感染しても無症状の人もいる一方で、重症化して亡くなってしまう人もいる。
今、急速にその感染者の数を広げている舞台裏には、無症状の感染者が大いに関係しているそうだ。
コロナ慣れと、無症状の感染者。この二つが、大いに新型コロナウィルス感染症の陽性者の拡大に関係している。
このことから学べる断酒についての真理だが、断酒には決して慣れてはいけないと言うことではないだろうか。
断酒に慣れて、日々の生活に酒が全く不要になっても、無症状なだけで、アル中には変わりが無いので、ある意味、私は「無症状のアル中」である。
今までは、断酒の初期の頃は辛いが、慣れて来ると楽になると思っていたが、断酒に慣れる「断酒慣れ」は、危険を秘めているような気がして来た。断酒8年目にして、そのことに気付いた。
気持ち的には、常に酒を断った初日のことを忘れずに、酒には大いなる警戒心を持って、日々の酒無し生活を送りたいものだ。
飲まない日を積み重ねる、一日一日断酒を積み重ねることは、とても地味で地道なこと。その一日一日の重みは、どんなに日数が経っても、同じ。
断酒初年度より、断酒8年目(←私の場合)のほうが、一日一日の重みがそれほどに感じられないなら、断酒に対して気持ちが緩んでいる、断酒慣れしている。
日常的に自分が酒に囚われていた頃の、あの不快で憂鬱な日々から一転、酒を断ち手放したことで手に入った、今の快適な生活。
断酒断酒と己を戒めていた初期の頃から随分と時間が経ち、今ではただ酒から距離を置き、酒とは無縁の生活である。これは、断酒に慣れたのだろうか?
そうではない。断酒に慣れたのではなくて、酒の無い生活、酒とは無縁の生活に慣れたのであって、心にはいつも酒(=薬物=アルコール)への警戒心を持っている。自分の口に極々微量であっても、酒が入ってはならない。
断酒に慣れてはいけない。
今日感じたこのことは、私自らの戒めとして、今年度の目標にしたい。
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