2021年が明けたと思ったら、もう4日。
どんどん時が過ぎて行く。
飲んだくれはこんなことを考えるのだろうか。
我が家もそろそろ正月ムードは終わりで、各人が通常の生活に戻りつつある。
私は、数年前から年賀状も新年の挨拶もやめてしまったので、年末も年始もあまり意識していない。
さて今日、近所を歩いていた時見たおぞましい光景。
それは、隔離された屋外の喫煙所。どこからともなく集まって来た喫煙者が、忙しくスパスパと、臭い煙を吸っては吐き出している。辺りには、悪臭が漂っている。
私は、喫煙所がある側とは反対側を、足早に通り過ぎた。それでも、マスクをしていても、あの悪臭が鼻を突いた。タバコの副流煙と主流煙が混ざった、強烈で激烈な悪臭。
私もかつては喫煙の害悪の輪の中にいたことがあり、寝ている時間以外は、ある一定の間隔で紫煙を漂わせていた。今考えると、空恐ろしい。
私があの喫煙の害悪の輪から飛び出して久しい。15年以上経つ。
たばこなる植物の葉っぱに点火して、その煙を吸う行為は、どう見ても異常であり、それにハマっている人が気の毒である。
飲酒の害悪も同様であり、その輪の中にいる人には、その異常さが全く分からない。だが、一歩その害悪から出て、傍観してみるなら、それが異常であることが良く分かる。
飲酒の何が異常かと言えば、アルコールを飲んでラリるところ。このことに尽きる。
冷静に観察してみれば、これは薬物中毒者の行動と何ら変わるところが無いわけで。
飲酒に疑問を感じているなら、一旦酒を断ち、飲酒の害悪の輪から出て、冷静にそれを観察してみることをお勧めする。
三日坊主なる言葉があって、これは元々、仏道に入った人がたったの三日で還俗してしまった故事から来たそうだが、断酒は、三日坊主でも凄いことだ。三日やめられたら、先の望みがかなり大きい。
また、岡目八目なる言葉がある。第三者の方が当事者よりも、事の真相や得失が良く分かると言うことだ。
正に私は今、喫煙も飲酒も、当事者ではなくて、第三者の立場で見ている。そして、それらの害悪が真理であり、得失で言うならば、失しかないことを知っている。
飲酒の害悪は歴然としており、アルコールによる社会的損失は、日々世間を騒がせている報道を見ても分かる。
あなたも、もし飲酒をまだ続けていて、飲酒の害悪の輪の真っただ中にいるなら、その害悪の輪から早く飛び出ることだ。
害悪の輪の外から、かつての害悪を眺めてみてほしい。
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