東京は、冬晴れの日が続いている。
子供の頃の厳しい冬の記憶が強烈に頭に焼き付いている私には、東京には冬が無いような気がする。
東京の冬は、雪が殆ど降らないし、晴れの日が多いし、氷が張ることもほぼ無い。
さて、2011年の2月9日に、福岡県で高校生2名が犠牲になった飲酒運転事故から10年が経ったとの報道を読んだ。
この事故で長男を失った母親の方が、飲酒運転撲滅県民大会に出席し、飲酒運転根絶を訴えていた。
事故は、この日の午後11時ごろに起きたのだそうだ。路側帯を歩いていた二人の高校生は、後ろから来た飲酒運転の車に撥ねられて、即死だったそうだ。
この母親の方の息子さんは、今生きていれば26歳。立派な青年に育っていたことだろう。
私も子を持つ親として、この母親の方のお気持ちが痛いほどに良く分かる。
しかしそれと同時に、飲酒運転撲滅に関しては、誰がどんなに、どんな思いで、誰に対して訴えようとも、絶対に無理だと私は考える。
飲酒撲滅が全く出来ないと同じくらいに、飲酒運転撲滅も、絵空事だと思うのだ。酒が合法的に販売されて飲まれ、車に飲酒検知機能が無く、酔っ払いが自由に運転できる環境が揃っている限り、飲酒運転は無くならない。
もっと時代が進んで、地球上を走行する全ての車がAIによる自動運転に切り替われば、飲酒運転は根絶されるだろうけれども。
過去に遡って掘り起こせば、飲酒運転事故による悲劇は、本当に数多く起きており、犠牲者も遺族も、ヨッパライに憤ることしか出来ない。
酒を飲む前と飲んで酔っ払った時と、見た目は同じ人間のようだが、その精神状態を見ると、全くの別人・別人格であることが、恐ろしくも厄介である。
即ち、ヨッパライはアルコールで脳がイカレてしまっているので、自分が犯したとても大きな罪を自覚出来ない。
「状況証拠からすると確かに自分がやったとしか弁明出来ないが、でもでも、自分がやったとは到底思えない!」←これが、泥酔で何かやらかした奴の本音だ。私の経験から。
断酒した人間として思うのは、飲酒運転を撲滅したいなら、飲酒そのものを撲滅する必要があると言うこと。
飲酒そのものがこの世から無くなるなど、そんなことは絶対にあり得ないことは分かっている。
ならば、車そのものに飲酒検知機能を付けて、ヨッパライが運転席に座っても動かないようにするしかないではないか。
AIだのなんだのと、車の技術的な進歩が喧伝されているが、ヨッパライが運転出来ない車を、何故開発し、世の中に送り出さないのだろうか。
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